滝沢氏
滝沢氏
- 滝沢氏
前橋市に在住の滝沢様より、ご先祖は埴科郡坂城町の出であるとうかがったので
調べてみた。もしかしたら阿久津町の滝沢氏も、倉賀野城攻略の折に阿久津に付
け城木部北城を築いた際に在番衆として任地に赴き、その後も土着したのかもし
れない。要検討として記しておくことにする。 棟治
長野県埴科郡坂城町『滝沢氏』について
信濃村上氏(清和源氏頼清流)村上氏⇒屋代氏⇒滝沢氏(小県郡滝沢邑発祥。?)
- ◆村上氏
村上氏(むらかみし)とは
信濃村上氏(清和源氏頼清流)
清和源氏(河内源氏)頼清を祖とする信濃の国人領主。鎌倉時代から同国村上郷を領し、
その後埴科郡を拠点とする北信の有力国人領主として、建武2年(1335年)の中先代
の乱では「信濃惣大将」として鎮圧に当たった。海野氏を滅ぼした後は武田氏の侵攻
に晒され、天文22年(1553年)村上義清・国清親子は越後の上杉謙信を頼り、信濃
村上氏は終焉を迎える。このとき村上氏族のうち一部は下総や上野等の周辺の国々に
飛散したといわれる。
武田氏の東信濃に侵攻・・・晴信は家臣の真田幸隆に命じて、村上勢の武将切り崩し
調略を強化する。その結果、天文20年(1551年)には幸隆の謀略により砥石城を
奪われる。砥石城の足軽大将・矢沢薩摩守(幸隆の弟)が幸隆に内通していたため
であった。
天文22年(1553年)、武田氏に通じていた大須賀久兵衛が謀反し、また室賀氏、
屋代氏、石川氏など村上方の諸将が武田氏に降伏した。
- ◆屋代氏
戦国期の屋代氏は、村上頼国(村上中務大輔入道)の子満照を祖としている。
天文22年(1553)には近隣の塩崎氏らと共に村上氏から離反し、武田氏に臣従。
北信濃と切り離されて孤立した村上義清は、最終的に越後の上杉氏を頼って落ち
延びることになる。
信濃村上氏の後裔となる氏族
屋代氏(矢代氏)、平地氏、滝沢氏、東条氏、室賀氏、雨宮氏、清野氏、安川氏、上条氏、
下条氏、飯田氏、島本氏、福沢氏、出浦氏、小野澤氏、夏目氏、力石氏、山田氏、
平屋氏、今里氏、二柳氏、小野氏、岡田氏、古池氏(小池氏)、小泉氏、三川氏、
牧島氏、吉田氏、安藤氏、上野氏、西川氏、林氏、栗田氏、千田氏、山浦氏、吾妻氏、
倉科氏、塚田氏
- 最終更新:2016-06-14 00:17:14