里見一族の歴史
里見一族の歴史
箕輪初心★里見一族の歴史:リニューアル版
①平安時代・・・清和源氏→新田一族→里見一族~~。」
②鎌倉時代・・・御家人。
嫡流は新田→八幡庄(高崎)・越後波多岐庄&妻有庄&美濃平野庄
鎌倉時代末の動乱では新田義貞と行動をともにした。
②南北朝時代・・新田義貞の家臣=Best8の発言力を持つ里見。
里見一族は南朝方・北朝方に別れ戦った。
③室町時代・・・・里見郷→陸奥:山本郷・・・仁田山
④戦国時代・・・・分家:上野里見:長野業政と姻戚。
本家:安房里見→千葉2/3を制覇。
※「南総里見八犬伝」のモデルになった安房里見・・・
⑤江戸時代・・・・安房里見12万石→伯耆倉吉4000石
◆里見歴代当主の概略
○清和源氏→河内源氏→源義国→※源義国長男:新田義重(新田の祖)
※源義国次男:足利義康(足利の祖)
○新田義重
新田之庄(太田市)・・・★ここが領地であったであろう。
★新田は足利俊綱に占領されていたので、寺尾での蜂起は疑問?
寺尾(高崎市)・・・・・・・源の頼朝の蜂起に合流せず。
●長男:①里見伊賀守義俊・・・現高崎市旧榛名町在住
(光明寺の里見供養塔)
●次男:山名義範・・・・・・・・・・・現高崎市山名の光台寺在在
●3男:岩松次郎義兼・(岩松の祖)・岩松の子孫・・足利??の娘
:→→→(岩松館)
●4男:額田三郎経義・・・・
●5男:世良田義季「得川」・・子孫:徳川家康(捏造?)
(満徳寺の北200m)
●?男:新田冠者:新田義光・・・・・新田一族の本流。
●?男:新田小四郎:新田義佐
歴代里見一族
◆歴代里見一族の概略
①里見義俊・・・新田義重の長男。
嫡男ではないため、分家し「里見」を名乗る。
●長男:里見義成(高崎市旧榛名町里見在住)
●次男:里見千代丸→碓氷貞次の養子→碓氷三郎里見義雅
→塚越氏の祖(私:箕輪初心の母方先祖?)
●3男:田中義清(太田市新田町田中)
田中氏・・・庶家は大島氏・糸井氏・篠原氏など
●4男:中里見政氏(高崎市旧榛名町猪毛・現在10軒)
★友達の中ちゃん先祖
②里見義成・・・京都大番役。
平家追討の挙兵に京都からいち早く参加。
源頼朝の側近として活躍。「伊賀守」
里見一族は上野国の里見郷~榛名山付近を拠点として
越後国まで勢力を拡大した。
●長男:③里見義基
●次男:大島義継→●大島時継(上野新田在住系)・→○→○→
└●大井田氏継(越後十日町在住系)→○→
大井田氏の庶家は羽川氏・矢島氏・大岡氏など
●3男:鳥山時成→●鳥山経成(上野新田在住系)→・・・・・
●鳥山頼成(越後十日町在住系)→○→○→→
●4男:美濃義直→○→○→○・・安房里見初代か?(★峰岸純夫説)
里見義直(『承久の乱』で戦功を挙げ、同国円教寺の地頭となった。
『観応の擾乱』で滅亡・・・
しかし、子孫は安房里見の里見義実になった。(★峰岸純夫説)
●5男・豊岡義行→豊岡行成・・・×?
③里見義基・・・親の七光りで鎌倉幕府御家人。
○長男:里見氏義・里見郷に居住
→宮田不動尊(渋川市:旧赤城村)を建立。 ★財力を相当持っていたはずである。
○次男:里見義秀・・新田庄高林郷に居住?
別名:竹林二郎・・・刑部少輔。
○3男:牛澤重基・・新田庄高林郷隣の牛沢郷住
→子孫は越後中沢郷(長岡市中沢・新潟市中沢)
○6男:太田義宗・・
●里見義秀の娘・・・新田朝氏の妻(新田義貞の母)?
・牛沢氏・太田氏・山本氏・仁田山氏・堀内氏などの庶家が出ている。
※里見一族の中には、源頼朝の御家人になり、新田本宗家:新田義兼
流を凌ぐ程の存在となった。
④里見義秀・・・新田義貞の祖父?
○長男:里見義忠・・新田の庄:高林郷・里見郷を継ぐ?
○次男:竹林基秀・・★新田次郎の小説「新田義貞」では、
新田義貞の傳役(=教育係)である。
○3男:竹林時秀・・・・
○4男:竹林義綱・・・・
⑤里見義忠・・・★新田義貞の父か?
○長男:里見義胤
○次男:里見時義
◆3男:里見義貞→新田朝氏の養子:新田義貞
(★新田正伝・里見???)
⑥里見義胤
里見義胤の新田義貞の兄説・・・・里見小五郎義貞が新田朝良の養子へ
(★小五郎の砦)
(★主に榛名町の方々の説)・・・
新田義貞は里見から新田朝定に養子か?
※里見義胤の新田義貞の叔父説・・・
※里見義胤の新田義貞の叔母の子説・
○長男:里見義連
○次男:里見義宣
惣領家:新田義貞に従軍し、鎌倉幕府の得宗執権の北条高時を滅ぼした。
※北条得宗家の子孫は、熊本の横井小楠である。
「八重の桜」の横井時雄・德富蘇峰・徳冨蘆花・
湯浅治郎などはみんな新島襄の身内になったのだ。
里見義胤は戦功により、新田義胤は後醍醐天皇から伊賀守に任ぜられた。
しかし、1338年7月に越前国藤島で新田義貞が戦死を遂げた。
里見一族に足利尊氏に従う者が続出して里見氏は没落を免れた。
鳥山3名・里見2名・・・・
新田義宗(★ウキペディア・榛名町誌では美濃の里見義宗。)
は『観応の擾乱』で足利直義(足利尊氏実弟)に従ったが、
薩た山で対峙委し、竹之下の戦い(静岡県御殿場市)で足利直義
が兄に敗北した。新田義宗?里見義宗・・・・
『承久の乱』以降の美濃国の所領を没収され、没落した。
★とすれば、峰岸純夫先生の「美濃:里見氏のからの
安房:里見義実説が苦しくなる。
⑦里見義連・・・陸奥守。現福島県山本に在住。
○長男:里見基義
○次男:山本胤幸・・・・里見系山本氏の祖
■3男:里見氏連
⑧里見基義・・・里見郷に戻って、地固め。
○長男:里見家兼
○次男:里見満俊
⑨里見家兼・・・常陸國小原に在住。
○長男:里見家基・・・新田庄:高林郷・里見郷
○次男:里見満行・・・
○3男:里見家成・・・・
○4男:里見氏兼・・・・
⑩里見家基・・・結城の乱で戦死。
里見家基は関東公方の足利持氏の傘下となり、将軍:足利義教と
上杉憲実と対決して、破れた。
里見家基は常陸国の結城氏朝を頼っった。
しかし、上杉憲実の軍勢に包囲され、里見家基は子:家氏ととも
に自害し、里見氏宗家は(庶家の一部は除く)は滅亡した。
★3男:里見氏義・・・結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を称する。
安房里見義実の可能性がある。
★鎌倉時代から室町時代にかけて諸国に分かれた里見氏がある。
出羽里見氏、美濃里見氏、越後里見氏などである。
●出羽里見氏・・・・天童氏・東根氏・延沢氏など
(★山形「天童城」)
里見氏のことを書いた。
●美濃里見氏・・・・里見氏
●越後里見氏・・・・里見氏・大井田氏・羽川氏など
★新潟県十日町市の城は来年掲載しようかな?
◆前期安房里見氏
安房里見氏は戦国大名として成長した。房総に割拠し、江戸時代初頭には
里見一族は安房・上総・下総の一部を治める館山藩主となった。
⑪里見義実・・・安房里見氏の祖 白浜城(安房郡白浜町)を居城。
※説①・・・里見家基の長男:里見義実説
里見氏の嫡流である里見義実が安房に入国した。
(★安房里見氏の家伝)
★系譜関係は定かではない。
※説②・・・里見家基の遺児説
義実(大隅守氏義)・義通(義成・成義)父子は遺児(★通説)
※説③・・・里見家基3男:里見氏義説=海保氏→里見氏説
坂東八氏の上総氏の系統であるが「里見氏」と自称した可能性がある。
海保氏は里見家基3男:里見氏義が結城合戦後、千葉氏に仕え、海保を
称した。後に末裔が千葉家執権・後北条氏家臣・井伊家家臣・板倉家家臣
?で末裔に海保丹後守(千葉勝胤四天王の一人)
(★ウキペディア)
※説④・・・美濃里見からの養子説(★峰岸純夫先生説)
★観応の擾乱で、美濃の里見義宗は領地を没収されたという通説からすると、結構苦しい。
しかし、2012年9月の里見の郷の講演会では一部、峰岸説を信じる人も出て来ていると
千葉県館山の方がおっしゃっていた。
※説⑤・・・里見3代:里見義基の次男:義秀の子孫説
(★尊卑分脈・妙本寺蔵の源氏系図・群書類従→榛名町誌:久保田順一先生執筆)
※滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」のモデル。史実と伝説が入り混じる謎の一族である。
安房には東条・丸・神余・安西の「安房四氏」が割拠。
神余氏家中の下剋上平定を機に里見義実が瞬く間に安房統一(伝)。
⑫里見成義・・・稲村城を本拠。上総一部まで領土拡大。
⑬里見義通・・・平穏無事。早死に。長男:義豊は5歳。
⑬里見義通→⑮里見義豊
└⑭里見実尭→⑯里見義堯
⑭里見実尭・・・里見義通の弟
⑮里見義豊・・・小弓公方・足利義明を支持。
古河公方:足利高基を支持する相模北条氏や下総千葉氏と交戦。
・天文2年(1533) 義豊は叔父の実堯を誅殺したことから
内乱が発生・・・ (★天文の内訌)。
実尭の子:義堯が勝って里見氏嫡流は滅亡。
◆後期安房里見氏
・天文の内訌により宗家が義堯へ移る
⑯里見義堯・・・・第一次国府台合戦
小弓公方滅亡後は、北条氏と40年にわたる抗争。
⑰里見義弘・・・北条氏と和睦。
⑱里見義頼・・・里見義弘の死後、嫡男梅王丸と義弘弟:義頼の間で
抗争が勃発。→里見義頼が勝って里見氏を相続。
⑲里見義康・・・・「小田原の役」で豊臣軍に味方。
鎌倉などを攻撃したが、「関東惣無事令違反」に問われ、安房一国以外を没収。
※上野国:板鼻藩が成立。・・・弟が藩主
⑳里見忠義・・・徳川配下の小田原城主:大久保忠隣の娘を妻に迎えていた。
・慶長20年(1614)大久保忠隣改易のあおりを受けて伯耆倉吉に配流。お家断絶。
大名としての里見氏は滅亡。
里見忠義の代で改易された。
- 最終更新:2017-06-27 12:01:23