①正妻は扇谷上杉朝良の娘

①正妻は扇谷上杉朝良の娘

箕輪初心:生方▲箕輪城№180【長野業正の妻】&子ども

◆ウィキペディアによると、 「長野業正の正妻は扇谷上杉朝良の娘である。」

  • 私は理由を考えた。
  ★上杉憲房自分の妻の兄:上杉朝良の娘を長野業正に嫁がせることで
   権勢を維持しようとした からであると考えた。

  享禄の戦いでは
   長野氏・高田氏が擁する、上杉憲寛(足利晴直)
      VS   小幡氏・安中氏・藤田氏らが擁する、上杉憲政(上杉憲房の実子)
   が安中城付近で交戦し長野氏が負けた。
                                (黒田基樹先生説)

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     (★石井泰太郎所蔵長野氏系図)    (★黒田基樹先生作成系図1)


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    (★黒田基樹先生作成系図2)

  • 【Q疑問点1】長野業正の正妻は扇谷上杉朝良の娘はどのような過程で、嫁に来たのであろうか?

 【1】山内上杉顕定の家宰:長尾忠景の嫡男:長尾顕忠
    文明12年(1480) 長尾景春の乱開始3年目
    秩父郡で上杉軍の将として長尾景春と交戦した。 (「太田道灌状」)
    総社長尾氏の家督を継いだとみられている。

    長享元年(1487)~永正2年(1505) 長享の乱
    山内上杉家の上杉顕定 VS 扇谷上杉家の上杉定正→甥・朝良
    長尾顕忠は山内上杉家の家宰として軍を率いて、上杉朝良
    伊勢宗瑞(北条早雲)らと戦った

    晩年・・・武蔵国杉山城を居城にした可能性がある。

    永正6年(1509) 1月9日(11月29日)
    長尾顕忠の娘 長尾顕方室・上杉朝良室がいる。

    ????年 長尾顕忠の娘は、扇谷朝良の室になっている。
    長尾顕忠の没後と考えられている?


 【2】扇谷上杉朝昌(ともまさ)の2男:扇谷上杉朝良

    扇谷上杉朝昌(ともまさ)子ども
     永明軒東永(宇田川親定)
     上杉朝寧
     上杉朝良・・・長尾顕忠の娘は、扇谷朝良の室
     朝昌の娘・・・上杉憲房室

    永正2年(1505) 3月、山内上杉顕定の軍勢が河越城を包囲した。
    上杉朝良は降伏した。

    上杉顕定は菅谷館に上杉朝良を幽閉して出家させ、甥の上杉朝興
    を当主に立てることを扇谷上杉家臣団に強要した。

    しかし、扇谷上杉家臣団の反発が強く、諦めた。
    また。古河公方2代目:足利政氏と嫡男:足利高基が対立した。
    上杉顕定は上杉朝良が解放し河越城に戻した。

    永正4年(1507) 上杉顕定の養子:上杉憲房と上杉朝良の妹の婚姻
    が成立して山内・扇谷両家の同盟関係が復活した。

  ★私見・・この時、同時に長尾顕忠の娘は扇谷上杉朝良の室になった
       のではないだろうか。

 【3】長野業正の正室:上杉朝良の娘
    延徳2年(1490) 長野業政の誕生説。
    延徳3年(1491) 長野業政の誕生説(通説・有力説)
    永正7年(1510) 長野業政の誕生説

  ①父:長野憲業説・・・近藤義雄先生ほか。
     長野憲業養子説=厩橋長野氏からの養子説・・飯森康広先生説     
     長野方業説・・・黒田基樹先生説
  
   母:沼田顕泰娘説・・沼田顕泰の娘は、長野業正室と安中越前守重繁室がいた。
                              (黒田基樹先生説)
  ★ウィキペディア【長野業正】では、長野業正の娘は沼田顕泰の妻となった。
   とかいてある。変だなあ?
  
  ②長野業正の兄弟
   長野業氏・・・鷹留城主
   姉(長尾景英正室)
   長野業正・・・箕輪城主
   妹(里見義堯正室)

  ③長野業正の妻

   文亀年間(1501~1504) ~ 永正年間(1504~1521 )元服・結婚
   正室:扇谷上杉朝良の娘・・・(★ウィキペディアの説)

 1)延徳3年(1491) 長野業政の誕生説なら、
   文亀3年(1504)~永正7年(1510)頃となろう。
   ★娘も多いことだし・・・・

 2)永正7年(1510) 長野業政の誕生説なら、
   大永(1521~1528)頃になろう。


   継室①:沼田顕泰の娘・・・近藤義雄先生説・黒田直樹先生説
    享禄4年(1531) 長野業政の次男吉業が誕生?
   継室②:上泉伊勢守の妹・・・・池波正太郎説
   継室③:保渡田砦城主の娘・・・系図

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   継室④:里見河内守義光の娘・・・・系図  
   継室⑤:南総里見実堯(義堯)の娘・・・棟治氏説(義光=義堯 字が似てる?ちと怪しい)

  ※大永5年(1525) 長野業政の次男吉業が誕生?

◆◆【4】上杉憲房 ◆◆

   上杉憲房の妻は 扇谷上杉朝昌の娘である。
           扇谷上杉朝良の妹である。

  ★従って、上杉憲房は長野業正を重臣と扱い、妻の姪を斡旋したことになる。
   ・・・棟治さん、これでいいですか?

  Q.この時業政は、箕輪長野氏へ養子へ入っていたのだろうか?

  ①入っていない説・・・厩橋長野家はもともと本家なのでその軍事力はいまだ
   侮れない為、嫁を斡旋して憲房の下へ引き入れた。

  ②入っていた説・・・・憲房の執事である箕輪長野氏とのつながり強化のため
   斡旋した。

  ③業政が有能であることに気づき、また厩橋長野氏の軍事力を取り込みたかった。
   また箕輪と厩橋長野氏の不安定な関係を解消するため、業政に嫁を斡旋して
   箕輪長野家へ養子に入れることを試みた、一石二鳥の憲房画策では? 棟治


   永正4年(1507) 上杉顕定の養子:上杉憲房と上杉朝良の妹の婚姻
   が成立して山内・扇谷両家の同盟関係が復活した。説1.

   永正7年(1510)長森原の戦い(永正の乱の一部)
   山内上杉顕定が戦死すると山内上杉憲房も撤退した。
   関東管領職は上杉顕定の遺言により、上杉顕実が継いでいた。

   顕定が越後国で同国の守護代・長尾為景(上杉謙信の実父)に討たれ
   一方では伊勢宗瑞が扇谷上杉家の重臣・上田政盛に対して離反を勧めて
   いる事が発覚すると、朝良・朝興は、山内上杉家を継いだ
   上杉憲房へ、朝良の妹を嫁がせ和解して宗瑞との戦いを開始した。説2.
   権現山城の戦いへ憲房は援軍を派遣している。

   永正9年(1512)
   上杉顕実は長尾顕方や成田顕泰の支援を受けて武蔵鉢形城に拠った。
   憲房支持の横瀬景繁・長尾景長に攻められて敗北して実権を喪失する。

   上杉憲房は上杉顕実と争って勝利し、山内上杉家の家督を継いだ。

  ★上杉憲房自分の妻の兄:上杉朝良の娘を長野業正に嫁がせることで
   権勢を維持しようとした からであると考えたのは、この頃であろうか?


   永正12年(1515) 上杉顕実の死によって関東管領職も継いだ。
   しかし、長尾景春の抗争の継続~扇谷上杉朝興・相模国の
   北条氏綱、甲斐国の武田信虎などとの長年の抗争が続いた。

   大永4年(1524) or 7年
   惣社長尾家の長尾顕景と白井長尾家の長尾景誠が北条氏綱・長尾為景
   と結んで関東管領上杉憲房に叛旗を翻した。
   長野方業が惣社長尾氏の重臣:徳雲斎を調略したことが知られている。
  ▲久保田順一先生・秋本太郎先生
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   大永5年(1525) 3月25日 上杉憲房は死亡。享年59歳。
   実子の憲政は幼少のため、先に養子として迎えていた
   上杉憲寛(古河公方:足利高基の次男:足利晴直)が跡を継ぎ、関東管領になる。

   上杉朝興 VS 北条氏 

   大永6年(1526)長野信業は長子:業氏に鷹留城を与えた。 (★群馬県史)
   長野憲業=信業同一人物説もある。


  ◆飯森康広先生説の系図
                 
  ①浜川・・・長野為兼=為業   
             ↓
  ②室田・・・   業尚=尚業→憲業・・・・・業氏?
                    ↓
  ③箕輪              方業=業政?→氏業

  ④厩橋:長野周防守?・宮内少輔→賢忠→・・・・・道賢

  ★飯森康広説「長野方業=長野業政」・・・あるいは業政の父である。」
   飯森康広氏は「長野方業=長野業政であると思われます。」と、言われた。

  ★まさなり=なりまさ・・名前が逆になっている。これは、
   鷹留城主:長野尚業=長野業尚と同じようなものだと思った。
   飯森氏「いずれにせよ、いままで、長野方業(まさなり)は、
   厩橋城主で長野業政の叔父と考えられていましたが、


  ◆米沢の上杉家文書では

  ①大永7年(1527)11月27日・・
   箕輪の長野左衞門太夫方業、総社長尾顕景・白井長尾景誠
   の排除を徳雲軒と謀る。
  ②大永7年(1527)12月16日・・ 
   箕輪の長野左衞門太夫方業、厩橋宮内大輔とともに総社城
   を攻めすすめる。  
  ③天文4年(1535)4月・・・飯森康広先生
   □(長野方業) 榛名神社に制札を出す。(榛名神社文書)
   長野左衞門太夫方業は箕輪城に在城したことが、上記の
   2文書から判明しました。」と飯森先生がおっしゃった。
   つまり、長野方業=長野業政である。
   ★群馬県埋蔵文化財:飯森康広氏の考えである。

  ※この長野左衛門大夫方斎→(今は方業)と厩橋宮内大夫は誰か諸説
   あってはっきりしない。 


  ◆長野憲業・・・1510年死亡説?・1530年死亡説もある
   長野左衛門大夫方斎は箕輪城主とみられている。

  ①『日本城郭大系』では、箕輪城主の長野信業
   『箕郷町誌』(箕郷町1975年)では長野信業=方斎 (★近藤義雄先生)

  ②『群馬新百科事典』(上毛新聞社2008年)の「長野氏」(飯森康広著)
   では長野方業=長野業正(★正式名:業正である)同一人物説・・・花押も同じ。

  ③『群馬県史 通史編3』では。長野方業=方斎』

  ④戦国のコミュニケーション』(山田邦明著2010) 方斎ではなく、方業である。

  ⑤黒田基樹論文 方斎は方業の誤読とする。
   厩橋長野方業が箕輪長野氏に養子に行った説。


  ◆※厩橋宮内大夫も諸説ある。(★秋本太郎先生の講演会資料)

  ①長野方業=方斎?(厩橋城=前橋城)が惣社城長尾顕景を攻撃。
   箕輪城長野憲業+厩橋城長野宮内が、総社長尾氏が挟み撃ちにした。

  ②→惣社城長尾顕景+白井城長尾景誠が応戦。

  ③→越後の長尾為景(上杉謙信父)に援助要請。

  ④長野方業も長尾に仲裁請求。(★群馬県史:近藤氏・峰岸氏)
   (唯一の長野氏関係の文書上の初・・・・秋本氏)
  ⑤箕輪城主長野方業(業正?)に攻められ降伏した。

  ⑥西上野を掌握した業正は長尾顕景を隠居させて嫡子:景孝に惣社長尾氏を継がせた。
  ★仲裁には関東管領:上杉憲房か長年寺・長純寺和尚が立ったのでは?

◆参考文献
・『戦国関東の覇権戦争』黒田基樹著 
・『戦国北条氏五代』黒田基樹著 
・『戦国期山内上杉氏の研究』黒田基樹 
・『西上州の中世』:安中市・・・ふるさと学習館
◆参考サイト
・ウィキペディア

  ◆長野業正の子ども

   江戸時代に作られた長野系図も17(今の所)あるが、謎が多い。

   長野業正の息子は長野吉業・長野氏業(業盛)・長野正宣・長野業朝

   +長野業親:長野氏の系譜になく、庶子か養子
           (『高崎市史通史編2』)とウィキペディアにはある。

   そして、長野業正の妹は里見義堯室」とある。娘もたくさんいた。

 1)ウィキペディアの説
    
   長野吉業
   長野業盛
   長野正宣・・・武田信玄に仕え、53貫文の地を拝領した。
   長野業朝・・・不明。

   娘(木部範虎の正室)
   娘(上杉憲政の正室)・・・★17長野系図に出てこない。
   娘(和田業繁の正室)
   娘(安中景繁の正室)
   娘(高田繁頼の正室)・・・★系図上、1回も出てこない。
     黒田基樹説では、・・・沼田顕泰の娘
   娘(長野業固の正室)
   娘(倉賀野直行の正室)・・★倉賀野淡路守(金井淡路守)説もある。
   娘(安中忠政の正室)・・・安中景繁の父なのだ。親子で?
   娘(沼田顕泰の正室)・・・★一般的に、長野業正の母は沼田顕泰だ。

  ★何か、怪しい気もするのだ。時代的にマッチしない人もいるし・・
   彦根藩の記録によると、長野業親なる人物が業正の子としてあり、
   業親の子・伝蔵が井伊直政に仕え次席家老となったという。
   ただし業親は長野氏の系譜に全くみえず、庶子か養子とみられる。
   (『高崎市史 通史編2』)。

   娘
    「浜川系図」(長野弾正系図)によれば12人あったという。
     ただし城主の実名は記載されていない。
     比定は原則として『箕輪城と長野氏』(近藤義雄、1979年)に依拠した。

   小幡城主小幡信貞室(長女)
   国峰城主小幡景定室(次女)
   忍城主成田室(三女)・・・・
    忍城学芸員は、「史料がない。」とおっしゃった。

  ★岩付城を築城した成田正等の養子は総社長尾長尾忠景の3男
   :成田顕泰である。成田顕泰→成田親泰→成田長泰→成田氏長
                  ・小田朝興
                  ・成田泰季→成田長親(のぼう)
    となるので、成田長泰か成田泰季に嫁いだ可能性もある。
    時代背景を考える必要かあるかもしれない。

   山名城主木部定朝室(四女)
   大戸城主大戸左近兵衛室(五女)
   和田城主和田業繁室(六女)
   倉賀野城主金井秀景室(七女)
   羽尾城主羽尾修理亮室(八女)
   浜川城主・藤井氏(箕輪長野家家老)室(九女)
   厩橋城主・長野氏室(十女)
   板鼻鷹巣城主・依田氏室(十一女)
   室田鷹留城主・長野業固室(十二女)

  • 最終更新:2016-09-25 11:17:19

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