ミヤマクワガタと武田信玄

  • ミヤマクワガタと武田信玄 2013 / 01 / 01 ( Tue ) 棟治

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   写真は、左より「シイタケ栽培」   「ミヤマクワガタ」

   子供のころ近所では椎茸の栽培が盛んで、原木にはコナラ、クヌギ、ミズナラ、
   椎(シイ)などの、いわゆる「どんぐり」がなる木が最適とされていた。近くの
   丘陵地帯は、これらの林が沢山あり写真のような光景があちこちに見られた。
   夏になるとこれらの原木に樹液があふれ、クワガタ虫や蜂などの多くの昆虫類が
   生息していた。

   下草が刈られているため、子供でも容易に散策する事が出来、採集してその大きさ
   や形を自慢していたものである。その中でもミヤマクワガタはこの地域では珍しく
   大型のものが見つかると歓喜して「タケダを見つけたぞ~」と声を上げ皆で見入った
   ものだ。

   ふるさとでミヤマクワガタの事を「タケダ シンゲン」と呼ぶのは普通のこと
   だったが、今考えてみると南八幡地区限定なのか、わたしの子供のころ限定なのかは
   定かでない。もちろんそれは戦国時代、甲斐の虎と恐れられた甲斐守護職の武田信玄
   に違いない。弘治三(1557)年以降、武田晴信(信玄)による西上州侵攻が度々繰り
   返されたが、箕輪城主・長野業政は鷹留城をはじめとした支城網を駆使して、都度
   これを撃退したとある。

   武田軍は、余地峠(佐久~南牧)をこえ上州に攻め込んだ。その先は松井田・安中から
   箕輪へ行く道と、鏑川ぞいに甘楽地区を進み、木部・倉賀野・和田をへて箕輪へ行く
   道である。二つ目のコースはわが故郷が、甲州軍団のもろ攻略路にあるため、地域の
   父祖たちは信玄のその姿を目の当たりに見たに違いない。源氏八嶺の一つである
   楯無しの鎧とは言わずとも、甲斐源氏の棟梁にふさわしい威厳に満ちた鎧をまとって
   いたに違いない。

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   「楯無の鎧?」

   この事から推察するに、ミヤマクワガタの大型のものは、まさにその威厳と風格から
   「タケダ シンゲン」と呼ばれるようになったに違いない。ふるさとで起きたで
   あろう、戦国時代の辛く悲しい物語はゆくゆく探っていきたいと思います。

  • 最終更新:2016-06-14 02:13:06

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