上杉房方

上杉房方(うえすぎ ふさかた)
Wiki最終更新 2012年1月24日 より本サイト内に取り込んだもの

上杉 房方(正平22年/貞治8年(1367年)- 応永28年11月10日(1421年12月4日))は、室町時代の武将。越後守護。上杉憲方の子。憲孝は兄で、憲定、憲重(山浦氏祖)は弟。朝方、頼方、憲実、重方、清方の父。幼名は龍命丸。官位は民部大輔。
戦国期における関東管領山内上杉氏・越後上杉氏の相関図(憲実まで)
『戦国期山内上杉氏の研究』黒田基樹氏著(岩田書院)とWikiよりまとめたもの

            13上杉朝房
            |
     ・-上杉憲藤-17上杉朝宗--19上杉禅秀(氏憲)
上杉憲房-|
     11上杉憲顕-・-上杉憲将
            |
            ・-上杉憲賢
            |                ・-上杉朝方--※上杉房朝
            12上杉能憲           |(越後守護)
            |                |
            14上杉憲春  16上杉憲孝   ・-頼方
            |       │        │
            15上杉憲方--・-上杉房方---21上杉憲実22上杉憲忠
            |       │(越後守護)  │      │
            ・-上杉憲英  │        │      │
            |       18上杉憲定・  ・-重方   23上杉房顕
            ・-上杉憲栄  │     │  │      │
                    ・-憲重  │  ・上杉清方・ ・-周清(周尋)
                          │       │ │
                          ・20上杉憲基 │ ・-法興
                          |       | |
                          ・上杉義憲   │ ・-周泰
                     (婿入りして佐竹義人)  │
                                  |
                           ※上杉房朝==・---上杉房定
 凡例  ─は実子
     =は養子
     数字は関東管領就任の順


天授4年/永和4年(1378年)、叔父で先代の越後守護上杉憲栄が引退した後、守護代の長尾高景に推されて天授6年/康暦2年(1380年)、越後守護となった。長尾氏の補佐を受けて上杉禅秀の乱においては一軍を率いて鎌倉公方足利持氏と甥の関東管領上杉憲基に加勢、上杉禅秀を討伐するなど活躍した。

応永28年(1421年)11月10日に死去した。嫡男の朝方(房方と朝方が同一人物である可能性も高い)が継いだが、朝方もまもなく死去し、孫で朝方の子の房朝が継承し、次男の頼方と長尾邦景(高景の嫡男)が補佐・後見した。

  • 最終更新:2017-02-25 13:28:54

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