北爪周防守政勝

十二家客分大身小身知行地方持衆(高家)北爪周防守政勝

  • 北爪周防守政勝(=土佐守政勝)箕輪初心●高崎の城一覧「154城」復刻版より

   新井砦住・・・・旧榛名町新井=三つ子沢
  ★北爪砦は現高崎市浜川町のローソンの北隣にある。
  ★北爪周防守は旧宮城村赤城神社の南の辺りを本貫としていたと思われる
   26 北爪の砦(北城)△
  ★訪問記・・・浜川信号を南に行き、浜川郵便局
   南50m~ローソン/早瀬川北
  ・○○○○年     築城  (箕輪城の保塁) 
   北爪周防守=土佐守政勝
  ・永禄9年(1566) ?武田氏に焼き払われた。(伝)
   武田氏家臣→
   長篠の戦い後・・・酒井家次家臣
  ・北爪九蔵・・・高崎九蔵町の九蔵である。

女渕城と北爪氏

  • 女渕城と北爪氏 よもやま話と題された赤城山南麓にお住まいの、おそらくは北爪様のブログより

   赤城寺を「赤城の宿の平」から、この地に移したのは北爪一門であろう。とすれば、
   南北朝の頃より、この地で活躍していたであろうし、多くの
   一門がいても不思議では無い。

   戦国時代の永禄6年(1563年)、北爪助八は軍功により、館林の長尾景長より
   狸塚・篠塚・石打等の所領を拝領している。

   天正18年2月21日、北条氏直が女渕五郷(女渕・鼻毛石・苗ケ島・友成・深津)の
   女渕地衆と呼ばれる者共を組織化して女渕城を守らせている記録が残っている。
 

北爪氏_上州路1999年3月号より

  • 北爪氏

  宮城村は、赤城山の南面に関東平野を見下ろすようにして広がっている。
  北側には赤城が雄大な姿で迫り、
  夜になると前橋や伊勢崎等の夜景が美しく望める位置にある。

  この地に北爪将監が戦国末期に土着するが、知行地の利があってのことと思われる。
  同族や同心衆が知行していたのは、古文書によれば合わせて二百貰文たらずであり、
  石高になおすと千三百石位かと思われる。

  鼻毛石を中心に百五十戸ほどの北爪姓があるが、
  土着後に耕地を開拓し分家を重ねてきた労苦がしのばれる。
  将藍の直系は守雄家であるが、湯之沢温泉で小さな旅館を営んでおられる。
  現在は二キロほど下った処にある忠治温泉と合わせ赤城温泉郷を称している。

  もう大分前のことになるが、湯之沢温泉を訪ねたことがあった。
  赤城山の小沼方面へ向かう南面登山道の脇の斜面にある四、
  五戸の宿の小さな温泉場である。
  かつて秩父宮もこの温泉を訪ねられているが、いかにも庶民的な宮様の風貌がしのばれる。

  守雄氏によれば、鼻毛石においては身代を整理してこちらに移住されている由であった。
  土着後の将監屋敷の跡も訪ねたが、想像していたよりも小さなのであった。
  各地に見られる中世の上野の土居や堀を巡らせた館ではなく、戦国の世が終焉した平和な
  時代をしのばせた。

  北爪氏には、足利氏から出て京都御所の北辺を警固したために初苗を北語としたという
  言い伝えもあり、家紋は十六菊を違い矢で守るという珍しい紋所を共通にしている。

  前橋藩に出仕した北爪氏は酒井氏の姫路転封に従って兵庫へ移っているが、
  その子孫に県民生部長から転じて赤穂市長になられた北爪照夫氏がいる。

  全国的には非常に少ない首字の一つで祖先を同一にしているため、
  北爪氏を追跡調査すれば日本人が如何なる事情によって移住したか、
  あるいは移住せざるを得なかったかが分かるようにも思える。

  なお戦国時代が専門の歴史学者小和田哲男氏は、上野の北爪氏については、
  鉢形城主北条氏邦の研究の時から気に掛かっていたと言っておられた。

  宮城村には、鼻毛石を中心に北爪姓が百五十戸近くある。
  足利氏の末流と伝えており、豪族として宮城村や粕川村西部を支配地としていた。
  祖先は一族と共に鉢形城の北条氏邦に仕えた北爪将藍で、
  天正十八年の小田原北条氏の滅亡後旧領へ土着した。

  将監は四人兄弟で、次男大蔵は前橋の下増田へ、三男甚内は尾島町平塚へ、四男新八郎は
  武州大里郡三尻の新堀新田へとそれぞれ土着する。
  新堀新田の北爪氏は、北条氏の「北条鱗」を家紋としている。

  四男新八郎は北条氏の発給文書に依れば知行地も多く、はるばる武蔵の地まで赴いた
  のは北条氏と縁が深かった為かと思われる。

  将監以前の北爪氏は、邑楽郡を本拠とした武士団で、永禄六年に北爪助八が館林城主の
  長尾景長から狸塚郷、篠塚郷、石打郷をあてがわれている。

  天正になって主計助は景長を継いだ長尾顕長から女渕郷鼻毛石、百島をあてがわれ女渕へ
  居を移した。また出羽守長秀は三夜沢赤城神社に鼻毛石のうち竹之内などを寄進している。

  北爪氏は女渕地衆として天正十年頃から小田原北条氏の魔下に入るが、将藍は同八年すでに
  北条方として粕川の山上城攻撃に参加、北条氏邦から感状を受け、高崎江木郷の代官に任じ
  られている。

◎まとめ

  • 赤城山南麓の旧宮城村に広がる一族の、北爪周防守は箕輪長野氏北爪助八は足利長尾氏へと仕えそれぞれ軍功をあげていた。

  • 前橋市三夜沢町の赤城神社あたりまで、長野氏の最盛期は勢力圏だったと言われているので、そのすぐ南が 鼻毛石であるので、北爪周防守はその辺りの地を本貫とした高家知行地方持衆として仕えていたと考えられる。

  • 最終更新:2016-06-13 17:14:28

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