名言のメモ

主な収入は海上交易でしょ
謙信が支配した直江津、柏崎
竹俣の三条
色部の柏崎
謙信は船頭前だけで年間四万貫も稼いでる
さらに其々の荷には青苧役などの税をかけてるから莫大な収入
二度の上洛で藤原北家の支配だった青苧座を越後青苧座に独立させたのが一番大きい
しこたま儲けた謙信は斉藤に命じて五年間の租税免除・夫役御免を行ってる
越後豪族が持つ港も交易が盛んになり、色部の正月なんて鰊だアワビだ数の子だ
山海の珍味が山盛り
彼らが操る北国船は牛馬で行う交易の数百倍の荷を扱えた
陸路では塩、蝋、木材、紙を売らせ、春日山府中には商家が建ち並んだ
彼ら商人への優遇措置、治安維持を謙信自身が制札を下し、蔵田に施行させている
この蔵田という大商人を謙信は春日山城代に命じるなど重用している

当時は当時なりの国益がある。
それは血統であり、箔。
謙信が統べる越後には、鎌倉幕府が派遣した名族達がひしめいていた。

秩父平氏系(本庄、色部、鮎川ら)
三浦和田系(中条、黒川)
佐々木源氏系(加地、新発田、五十公野、竹俣)
大江広元の子孫・毛利系(北条毛利、安田毛利)

平子氏などは実際鎌倉に領地が有ったくらい、関東と越後豪族の繋がりは深い。
関東の秩序が蹂躙される事。それは即ち
自分達の正統性、箔、誇り、一族の歴史といった、
中世において非常に重要である「存在理由」を否定されるのに等しい。

下克上は大名だけでなく、豪族内部でも頻発していた時代。
其々の豪族達もまた、自らの正統性を一族郎党へ示す必要に迫られていた。
某掲示板より

何故かわからないが、この文章にはその道にたけた者が放つオーラを感じる。 棟治

謙信は蓄財だけしていた訳じゃないよ。
矢銭(軍費)として、関東諸侯や一向宗へ多くの金を与えてるし
都の天皇家や鎌倉などの権威を復興させる為、莫大な内裏造営費を負担している。
それとは別に、毎年欠かさず天皇家へ黄金を献上。
国体を護持しようという強い意志が見られる。
尊王の意志が厚い。

Q.
謙信はそれが国益に繋がるという判断をした

て解釈でおkですか?
とするならばどのように国益に繋がったのですか?
不勉強ですんません
何卒ご教授を

A.
弱小の支援で列強の侵略による膨張を阻止して国防を貫いた。
外征により越後の士心を外に向けて内部の統制に利用した。
友好的な勢力を陣営に取り込み軍団を強化した。
交易路の確保を行い重商主義の越後を活性化させた。
こんなところが国益につながったと思う。

  • 最終更新:2017-01-10 16:27:39

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