本居勢田郡青柳村

  • 青柳金王丸忠家・・・・戦死。 箕輪初心●群馬「高崎の旧榛名町の全城=29城」より
  ・本居勢田郡青柳村・・・★前橋市青柳大師(青柳山談義堂院龍蔵寺)
   長野業政の時代に同心して家臣団に加わった。一般の家臣と違い
   知行と呼ばれる領地を山内上杉家より与えられていた。

  ・青柳町周辺には中世「青柳御厨」という荘園があった。
   鎌倉時代ここに地頭が置かれたと想像されるが、それが青柳氏の起こり
   であると云う史料はない。

  ・青柳村における青柳氏の居館・砦は史料には載っていない。考えられるのは

   ①龍蔵寺に館と寺社があった
   ②神明宮雀大社がある場所に砦があった
   ③青柳の寄居がそうである

   この辺りは、棟治も悩んでいます。むしろ可能性が一番低いのが青柳の寄居
   知行地の一番外れだし、出先の砦ならわかるが本拠とは考えにくい。
   しばらく悩んでおくことにします。

  • ①龍蔵寺・・・青柳山談義堂院龍蔵寺(せいりゅうさんだんぎどういんりゅうぞうじ)
   富士見村小暮に明聞寺(平成年代に千代田町より移転)という天台宗のお寺があり
   近所の御宅で小沢氏について聞き込みをした中で興味深いお話をうかがった。
   そこの御住職は、青柳を名乗り、近隣の天台宗のお坊様には良く見かける苗字とのこと。
   後日早速に明聞寺へでかけ、お坊様によると明治時代はじめ僧籍にある者も苗字を
   いただいたとおっしゃった。

   血脈ではなく法脈といって修行時代の自身のお師匠さまから青柳の名を頂いた方が
   結構な数に及んだとの話を先々だいより聞いているとおっしゃられた。
   (せいりゅうさん)の読み方もこの時教わった。
   またそのお師匠様は山号の青柳を名乗るくらいなのでよほどの高僧でありもしかしたら
   この地にあった青柳氏の末裔かなと想像せずにはいられない。  20150907 棟治

   所在地:群馬県前橋市龍蔵寺町68  (Wiki最終更新 2015年8月3日 より
   山号 :青柳山 (せいりゅうさん)
   宗旨 :天台宗  
   本尊 :阿弥陀如来 元三大師
   創建年:伝・延暦3年(784年)
   開基 :勝道
   中興年:伝・応安3年(1370年)
   中興 :笠間道玄
   正式名:青柳山談義堂院龍蔵寺 (せいりゅうさんだんぎどういんりゅうぞうじ)
   別称 :青柳大師
   札所等:関東三大師

   龍蔵寺(りゅうぞうじ)は、群馬県前橋市にある天台宗の寺院である。山号は青柳山。
   院号は談義堂院。本尊は阿弥陀如来。元三大師を安置し、青柳大師とも称される。

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   「癒しの参拝と御朱印紀行」様よりお借りした写真(自前よりよいので)

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   自前写真

  歴史
   この寺は、寺伝によれば784年(延暦3年)勝道によって創建されたと伝えられるが
   南北朝時代の1370年(応安3年)笠間道玄の開基、豪尊の開山により創建されたとも
   伝えられる。古くから天台宗の中心的な寺院のひとつとして栄え、天台宗の檀林
   (学問所)が設置されていた。江戸時代には前橋藩主の帰依を得、藩主から寺領を
   与えられていた。

  • 神明宮雀大社・・・すずめ神社(すずめ様)
   前橋市青柳町の北部にあり、祭神は少彦名命(すくなびこのみこと)である。
   古来、はしかやほうそうの神として崇拝されてきたが、明治四十四年に神明宮に
   合併された。青柳のすずめ様として近隣に信仰あつい神社である。
   ここには、他にも秋葉神社、厳島神社、八坂神社、諏訪神社なども合祀している。   
前橋市南橘町広報より
  すずめ神社の現地調査

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   すずめ神社の図と写真撮影位置


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   ①② 赤城白川より神社を望む。


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   ③④ 参道を進むと右手に石垣のある民家。


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   ⑤民家裏の石垣とお地蔵さん ⑥畑の右中央よりやや下から伸びる小さな水路


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   ⑦参道 ⑧鳥居 ⑩神明宮雀大神と書かれている


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   ⑨鳥居右側 ⑪左側の段差

  
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   ⑫社の右側の石垣 ⑬裏に回ってみた石垣


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   ⑭左側から見る ⑮少し盛り上がった段差の上から神社後ろを見る


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   ⑯境内より社右側の段差を望む ⑰境内を出て駐車できる広場より段差を望む


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   ⑱⑲神社の後ろからの眺め、このすぐ北を上武国道が通るため、
   付近を整地するとか聞いたが神社はどうなるのだろう?



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   ⑳神社方面を望むと広場のあたりは段差の上にある

   21・22この畑で作業している方に聞き込みをしたところ、砦や館があった伝承
   は知らないとのこと。ただし現在畑になっている所と神社の間には石が沢山出てきて
   耕作地としては難しいらしい。

   さらに名を尋ねたところ「下田」さんと言って箕輪の出と言われた。
   お互いお城で殿様と一緒に腹を切った仲ですねと笑いあった。

  • ③青柳の寄居  古城跡探訪様より
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  <沿革>
   鈴木氏・長沼氏らが拠ったとされるが、両氏について詳細は不明である。
   永正六年(1509)、連歌師宗長が「青柳の里」を通って「荒蒔和泉入道宿所」
   に立ち寄り、連歌会を催したことが『東路の津登』に記されている。

   この荒蒔和泉入道の「宿所」が青柳の寄居を指すとみる向きもあるようだが、
   この記述からでは何とも判じがたい。荒蒔氏についても、詳細は不明である。

~~~~引用終わり

   連歌師宗長がもし、桃木川沿いに青柳~荒巻と旅をしたとすれば
   青柳の寄居~荒巻のどこか館と考えられるが、むしろ棟治の考えは
   竜造寺(当時大学・モール・ホテルと同等施設あり)~関根の寄居
   だったと思う。

  • 最終更新:2016-06-11 22:54:34

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