武者揃えの法

新陰流つっても、剣術だけじゃないよ。兵法だよ、合戦の虎の巻信綱伝 20180910

武者揃えの法
  国家無事の時、我が国の内にて武者を揃える場を定めて、法の如く備えを立て置き、その所
  より一里ほど先に陣場を定めて、その組々の陣所を取り、物頭〔軍の組頭〕どもの小旗を持
  たせ遣りて、我々が〔各々の〕陣所に立て置くべし。

  軍兵、先ず一番の右備えより推し出し、次に左備えを推し出すべし。二番備えは一番に少し
  間を置いて推し出す。次に三番備え、次に旛本、次に遊軍、次に後備え。何れも一番備えの
  法の如く推し出し行きて、その組々の物頭の小旗を見て、我々が〔各々の〕陣所へ行くべ
  し。小荷駄は後備えより五、六町も引き下げて、上兵の次第の如く推し出すべし。かくの如
  く一度教える時は、我々が陣処をよく知り、鳴り嗅ぐことなし。

  口伝に日く。陣所の法を絵図に写して、物頭より諸卒、上下に至るまで朝夕これを見せて置
  く時は、武者揃えせざれども我々が陣所を知るものなり。

陣場に置く人数・坪割(旅の陣取り-500人)

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 旅の陣取り
  この陣取りは五百人の陣場なり。先ず中井を十四問四方に取りて、その井を広さ一問ずつの
  道に用いて横竪の道とす。さて外井を二十八間四方に取りて、その井、広さ三間の道に用い
  て、横竪の道とす。小陣は四問四方なり。これすなわち十六坪なり。これに二十五人ずつ
  居て余地七坪あり。ただし一坪に三人ずつ居るつもりなり。およそこの陣法を根本に用い
  て、大小は地形に従って陣を取るべし。   

 ※箕輪支城網に北新波砦(規模は75m四方)があるが、周囲に2m程の土塁を持つが内部には
  これと言った遺構は見られないと言う。このことから推察するに内部に『旅の陣取り』と
  して、二十八間(約50m)四方を確保することが余裕である。故にこの北新波砦は防御の
  為ではなく出撃するための兵揃えを目的にしていたと考えられている。
  おそらく平時から軍勢を集めて陣を立て、別の場所へ行軍してその場にて定められた軍規
  により地勢に合わせて陣を立て直す訓練をしていたに違いない。こうすることにより烏合
  の集であった軍勢が、城主の下に働く軍隊として成り立って行ったのであろう。長野業政
  の時代に、上泉伊勢守と共にこれらの事を成し遂げて行ったと考えられる。北荒波砦の北
  方2~3キロ地点に永禄初年頃に、伊勢守が守ったとされる下芝砦(字内出畑)があり、
  関連があると思われる。 宗春

陣中の法度
一 出陣推し出し行く時、道中にて人に逢う時、たがいに下馬せぬ法なり。
  但し主将又は高位の人ならは、その居たまう方の手にて鞍の前輪を押さえ、一方の手に手
  手綱を取り、頭をうつむけて乗り通るべし。平人はこれに及ばず。
一 推し出して行く道中にて、諸軍兵、一言も物云うべからず。
  一騎打ちの所を行く時、前後に申し遣わしたきことあらば、次第に云いつぎ遣わすべし。
  士卒の進・退・止は金鼓貝の法、あるいは相図の旗、相図の火の約束を云い合い知らす
  べし。諸卒は物言わずして吏士の下知〔指図〕の声ばかり聞こえるを上法とす。
一 敵国に入りて妄りに放火する事なかれ。但し早く放火して閲〔味方、以下「閲」はすべて
  「味方」と書き換える〕の勢気となる所あり。下知に随うべし。
一 敵国に入りて神社仏閣を破り、社堂寺中の竹木を伐り、妄りに禽獣を猟り取る事なかれ。
一 敵国に入りて軍兵を推す事、一日に三十里に定むなり。卯ノ上刻〔午前五時〕に推し出
  して、午の刻〔正午〕に陣所を定めて陣屋を囲み一宿す。明日もまたかくの如し。三十里
  より遠く布く時は人馬疲れて、もし敵に逢う時、合戦なり難し。日暮て晩食調えず、味方
  の弱み多し。(上古の書、一里と云うは六町一里なり。右の三十里とあるは今三十六町
  一里の五里なり)
一 備えを立てる時、先将は始・中・終、馬に乗って居る。物頭も馬に乗って備えの左右に居
  て、備えの乱れ躁がざるように下知すべし。然るに、物頭、一身の手柄を好み我が備えを
  離れ、備えを乱すこと大なる罪なり。
一 先将・物頭、我が一手の諸卒を捨て一人逃げは罪す。
一 その手の大将打死の時、その手の人数、敵を討つべきほど生き残ってありながら、敵を撃
  たず逃げるを罪す。
一 その近習の士、故あって軍法を背き、幸いにして勝れたる功ある者をば、その職をかえて罪
  を免ず。
一 槍下にて首を取るといえども、軍の勝負未だ知れざる内に、頚持ち、旛本へ帰る時は功空
  しくなる故に、物頭へ再三申し断るべし。
一 人の取る頚を奪う事、戦場に兵具捨てる事、手負いを連れて退く事、
  但し我が主人の手負いたるを連れて退くは若しからず、余は皆非法なり。
一 我が一手の人数、皆引き取る時、手負を連れて退くは手柄なり。
一 陣中に於いて吉兆を占う事なかれ。(悪しき時は味方のよわりとなるものなり)
一 降参人あらば是を殺す事なかれ。その人をなずけて〔手なずけて〕、その国の郷導〔道案
  内〕に用いるべし。(義経の鶴越、盛綱の藤戸、みな郷導ありしゆえなり。盛綱、郷導を
  誅〔殺す〕せしこと、大なる誤りなりとぞ)孫子日く。郷導を用いずんば地利を得ること能
  わず。(所の案内者を郷導と云う)
一 在陣中、喧嘩・ロ論・遊山・翫水・振舞・大酒・馬を取り放す事・高声鳴り嗅ぐ事・妖怪を
  語る事・敵の剛を語る事・人と立ち並んで密かに語る事・無礼をとがむる事・無用に人の陣
  屋へ行く事・夜に入り無用に陣屋を出る事なかれ。火事といえども我が請取り場にてなくん
  ば行くべからず。(火事の時、講取り外の面々は、我々が〔各々の〕陣の前に備えて下知を
  守るべし)
一 陣中に於いて夜討その外、如何なる俄事たりとも将の下知なくんば出逢うべからず。
  但し敵その手前に寄せ来るに於いては、その一陣の将の下知次第たるべし。
一 陣中に女人を入れること禁制なり。
一 金銀兵粮の奉行には慈悲の心深き人に云い付ける事なかれ。明日の事を期せず少しずつも
  多く渡すによって、米銭早く盡ものなり。『三略』日く。仁者をして財をつかさどらしむる
  ことなかれ。それを多く施して下に附えんとなす。
 

  • 最終更新:2018-10-02 12:55:40

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