歴代の関東管領

歴代の関東管領

上杉 憲実(うえすぎ のりざね)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの

   室町時代中期の武将、守護大名。関東管領、上野・武蔵・伊豆守護。
   越後守護上杉房方の3男。子に憲忠、房顕、周清(上杉憲房の父)、法興、周泰ほか。
   養父は従兄の上杉憲基。猶子に上杉実定(さねさだ、憲基の実弟・佐竹義人の次男)。
   関東管領を務め、足利学校や金沢文庫を再興したことで知られる。
  応永17年(1410年)
   上杉憲実生誕?、幼名は孔雀丸。
  文正元年(1466年)
   憲実は長門大寧寺で死去、享年57。

上杉清方(うえすぎ きよまさ)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの

   室町時代中期の武将。上条上杉家の祖。上杉房方の末子。越後上条城城主
   実兄の上杉憲実が隠棲後、山内上杉家当主を兼ねた。
   また、関東管領・武蔵守護も兼ねていた可能性がある。
   越後守護職は兄の朝方・頼方が継承し、三兄の憲実は山内上杉家を継承し関東管領と
   なっていたため、清方は刈羽郡鵜川荘上条の地を領して分家し、上条上杉家を興した。
  応永19年(1412年)誕生?、通称は十郎。
  文安元年(1444年)に清方は死去(自刃説あり)した。

上杉 憲忠(うえすぎ のりただ)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの

   室町時代中期の武将、守護大名。上杉憲実の長男で房顕の兄。山内上杉家出身。
   関東管領に就任するが、鎌倉公方足利成氏に謀殺されて、享徳の乱のきっかけとなる。
  生誕:永享5年(1433年) 幼名は龍忠
  死没:享徳3年12月27日(1455年1月15日)

上杉 房顕(うえすぎ ふさあき)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの
   室町時代中期の武将、守護大名。
   関東管領、山内上杉家当主。上杉憲実の次男で憲忠の弟。
  生誕:永享7年(1435年)龍春(幼名)、八郎(通称)兵部少輔
  死没:寛正7年2月12日(1466年2月26日)
  ●結城合戦の後、上杉憲実は房顕以外の子供を全て出家させた。
   房顕は従兄の越後守護上杉房朝の元に留め置かれた。

上杉顕定(うえすぎ あきさだ)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの
   室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名。
   越後上杉家の出身(上杉清方の孫)で山内上杉家を継いだ。
   関東争乱期の40年以上にわたって関東管領を務めた。
  生誕:享徳3年(1454年)龍若 四郎
  死没:永正7年6月20日(1510年7月25日)

 

上杉顕実(うえすぎ あきざね)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの

   戦国時代の武将。古河公方・足利成氏の次男で関東管領・上杉顕定の養子としてその後
   を継いだ。娘に宇都宮成綱の妻がいる。
  生誕:不詳 足利政氏の弟。通称は四郎。官位は民部大輔。
  死没:永正12年(1515年)

 

上杉憲房(うえすぎ のりふさ)
Wiki最終更新 2014年6月1日 より本サイト内に取り込んだもの

   戦国時代の大名。上杉憲実の子で僧籍にあった周清(秀晟、周尋とも)の子。
   正室:上杉朝昌の娘
  生誕:応仁元年(1467年) 五郎(通称)
  死没:大永5年3月25日(1525年4月17日)
   憲房と箕輪長野氏との関わり合いは深く、戦国物語を綴るうえで重要な位置にある。
   上杉憲房は、妻の兄:上杉朝良の娘を長野業政に嫁がせ、叔父・甥の関係を結んだ。 

 

上杉憲寛(うえすぎ のりひろ)
Wiki最終更新 2016年10月3日より本サイト内に取り込んだもの

   戦国時代の武将。関東管領。古河公方・足利高基の次男。賢寿王丸 通称:四郎
   養父は上杉憲房。母は宇都宮成綱の娘・瑞雲院。
   上杉氏時代の別名に憲広(読み同じ)。
   関東享禄の内乱後上総宮原(宮原御所)へ移り、宮原晴直と改める。

  

上杉 憲政(うえすぎ のりまさ)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの
   戦国時代の大名。室町幕府の関東管領を務めた山内上杉家の当主である。
   憲当(読み同じ、旧字体:憲當)、光徹とも名乗っているが、憲政の名で統一する。
  享禄2年(1529)9月22日 西氏と小幡氏が上杉憲政を擁立した。
   「九月二十二日 上杉憲寛部下西氏・小幡氏等叛、立故管領憲房子憲政、時称竜若、
    継山内家、而破憲寛安中陣、憲寛移上州程田(★旧群馬町保渡田)陣、長野一族従之」
                          (★『続本朝通鑑』:久保田順一)
 
上杉 憲政(うえすぎ のりまさ)
Wikiと初心師のサイトより編集してまとめたもの
   戦国時代の大名。室町幕府の関東管領を務めた山内上杉家の当主である。
   憲当(読み同じ、旧字体:憲當)、光徹とも名乗っているが、憲政の名で統一する。
  享禄2年(1529)9月22日 西氏と小幡氏が上杉憲政を擁立した。
   「九月二十二日 上杉憲寛部下西氏・小幡氏等叛、立故管領憲房子憲政、時称竜若、
    継山内家、而破憲寛安中陣、憲寛移上州程田(★旧群馬町保渡田)陣、長野一族従之」
                          (★『続本朝通鑑』:久保田順一)
 

  • 最終更新:2017-06-11 23:52:11

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード