永禄2年(若田原の戦い)

  • 永禄2年 1559年
  • 上杉方の横瀬・斎藤・沼田氏降伏、沼田城に北条康元を
  • 2出家して、徳栄軒信玄と号する
  • 2月22日 武田晴信は甲府を発ち、相木城(見立城)に泊まった。相木常喜と作戦を立て、川中島に向かった。
  • 4 景虎、上洛して義輝と謁する。
  • 6月 善光寺横山に相木城(現長野女子高校・城山小)を築城した。※現在、相ノ木通りである。
  • 平尾守芳=相木(依田)昌朝と平尾源次郎は上野国:松井田城の安中忠政の館に身を寄せた。
  9月
   若田原の戦い・・・・西上野へ侵入した武田軍は、周辺諸氏を懐柔し片岡丘陵の北の端
   『鼻高砦』へ陣取った。
   対する長野軍は若田原へ陣取り、奇襲をもって武田軍を翻弄した。
   攻めあぐねた、武田軍はこの地に草を放ち陣払いをしたと言う。
   信玄、松井田・安中を侵略する。(武田三代年表帳より)

   安中城は、1559年(永禄2年)、上野国碓氷郡安中に安中氏の安中越前守重繁(忠政)
   によって築城された。
  10月
   謙信 京より帰国 関東管領に任命された(笹本正治氏著 武田信玄)
  11月
   13日
   北信濃の諸氏、謙信に祝儀の太刀を献上した。

  • 最終更新:2017-08-27 21:33:11

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