訓閲集メモ

巻一、発向

主将発向の法 附、出陣帰陣・兵具扱いの法
  軍を発すべき二、三年も前より敵国へ間諜を遣わして、国家の風俗を知って後、兵を発す
  べし。具に「斥喉の巻」にこれを記す。春夏は軍を興すべからず。農業の時を妨げ、兵糧
  不自由なる時なり。秋冬に兵を発すべし。(司馬法日く、冬夏、師(いくさ)を興さず)

  口伝日く。右は大方なり。不意の発向〔出陣〕、時にかかわる事なかれ。吉日、良辰〔良い
  日がら〕を選びてその夜半に軍監先ず起きて一番螺を吹く時、大将も諸卒も皆食す。大将、
  その日の吉方に向かって鎧を著し、摩利支天〔軍神〕を拝し御酒三肴を祝う。
     
  口伝日く。大将は出陣の前三日、潔斎〔心身をきよめる〕して床に摩利支天の尊号を掛け、
  瓶子(徳利)に御酒をつぎ、尊前に置き、大将、鎧を着し太刀をはき、胃は着けずして支天
  を拝し、瓶子の御酒を支天にそそぎ奉り、九万八千の軍神、この度の軍に御力を合わせたま
  えと観念して〔心に念じて〕、大将、即ち、床机にかかり居る。その時、近習の士、一人出
  て、上段の三着を取りて大将の前に置く時、酌とる士、上段の瓶子より御酒を銚子に移し、
  大将の前に持参して左の膝をつき右を立て、一足も過がらず、いかにも威勢あるように酌を
  とるべし。加え〔銚子に酒をさしかえる〕の士、堤に酒を入れ、出て居るといえども加え
  ず。大将、土器を取り上げ、御酒を受けて頂戴し呑む。また少し受けて呑んで土器を下に置
  きて、打飽を取りて細き方より食して、また一献呑む。これにて三献なり。

  次に別の土器をとり右の如く二献呑み、土器を下に置きて勝栗を食して一献呑む。また別の
  土器をとり二献呑み、土器を下に置き昆布を食し一献呑む。以上、三々の九献にて納めるな
  り。(ただし父子同席にて祝うことなかれ。座をかえて苦し)〔以上、打って・勝って・喜
  ぶの縁起をかついでいる〕

  次に先祖の霊仏を拝す。この時、諸卒はみな陣屋を出て備えを立てる。三番貝を吹く時(一
  番貝に起き、二番貝に食す)、大将、陣屋を出て兜を着し、その日の吉方に向かい馬に乗り
  て、豊国の袖かけ山にたび寝して門出の夢を今日見つるかな 須賀ぬき〔菅抜〕や広き河原
  に宮居して向かう敵を退治するかな 右は神功皇后、異国退治の御歌なり。

  この二首の御歌唱えて馬に乗るべし。馬上に弓を持ち、矢を一手右の手に持ち、威儀正しく
  して、善を思わず悪を思わず〔新陰流・疋田伝太刀日録にみられる表現は太字とした。以下
  同じ〕なり。

  鈎極の位、紅葉の勇気、面にあらわし、我即ち日輪・摩利支天と観念し、弓を人に渡し、馬
  を乗り出すに、唯今敵に逢うと思い、眼、東南に向う時は、心を西北に置くべし。万事、吉
  にも凶にも心を移さず、軍法定めて後、小過を改めず、猶予することなかれ。(評日く。右
  の記は大将、我国を出る初日の事なり)

一 出陣の時、妻子あとより見送る事を禁ずべし。
一 出陣に、馬屋にて馬勇むは吉なり。乗る時勇むは凶なり、馬上より腹帯をしめ直すべし。
  凶変じ吉となる法なり。
一 出陣には旛は蝉口〔幡竿の先〕より出し、兵具何れも刃を先に出し、陣屋へ入るには柄を先
  に入る。常もかくの如し。帰陣は違いあるなり。評日く。上古は天下太平の時、主君の、城
  下を出て行く時は兵具を先にし、自身後なり。同、入る時は自身先に、兵具は後に持たする
  法なり。
一 出陣の祝い、左の如くにも仕る。右は神功皇后、新羅国御退治の時より始まるなり。この勝
  栗をば満珠と号したまう。それより以来、かくの如く用いる。紀伊の国・日砲明神と祝い奉
  るは、この干満の二珠なり。三つの勝栗を三面〔三つの顔を持つ〕摩利支天と観念し、三拝
  して鎧植に納めるなり。瓶子に酒をつぎ、口に茅の菜をさし(また竹の菓)、上段に置く。
  大将六具して辰の方に向かい、篠の菜をもって軍神にそそぐべし。唱えて日く。南無八万八
  千の軍神二千八百の師童子、哀愍納受ましませ、と細声に誦して酒を頂戴すべし。一酌の
  士、酒をつぐこと、初め少なく、中少し多く、後多くつぐべし。
一 大将、肴を食す事、打飽、首尾を合わせて広き方より食す。乗、丸ながら〔丸ごと〕一口に
  食す。昆布、飽に同じ。

行列の法
 第一旛
  頭人〔先頭〕三騎、旛の初・中・後を乗る。旛一本に手明(てあき)の歩兵一人、弓鉄砲一
  挺完付。
 第二鉄砲
  頭人三騎、銃の初・中・後を乗る。手明の歩兵数人付け玉薬箱に入れて持たすべし。
 第三弓
  頭人三騎、弓の初・中・後を乗る。手明の歩兵数人付け、失権に入れて持たすべし。
 第四長柄・槍
  頭人三騎、槍の初・中・後を乗る。手明の歩兵数人付
 第五截具
  頭人二騎あり。
 第六軍監・軍曹・団〔団扇〕取り
  兵具人数、身上相応
 第七大将乗り換えの馬
  奉行二人
 第八大将手廻の兵具
  奉行二騎、歩吏二、三人
 第九旛本の騎馬歩兵
  頭人有り、左右二組なり。
  右の先持槍
  右後斥堆十五人、同、歩十五人
      符
  大将 老功の武者二人、小姓数人
     冑
  左の先持弓
  左後便番十五人、同、歩十五人
 後第一遊軍
  二十四騎、これを四輿と為し、旗本に推し付けて行くなり。
 後第二後備え
  具に備え與の巻に記す。
 後第三家中小道具
  頭人二騎。小道具とは衣服・蓑笠・鎧櫃などなり。
 後第四小荷駄
  武者揃えの法の如し。
 

陣中の法度
一 出陣推し出し行く時、道中にて人に逢う時、たがいに下馬せぬ法なり。
  但し主将又は高位の人ならは、その居たまう方の手にて鞍の前輪を押さえ、一方の手に手
  手綱を取り、頭をうつむけて乗り通るべし。平人はこれに及ばず。
一 推し出して行く道中にて、諸軍兵、一言も物云うべからず。
  一騎打ちの所を行く時、前後に申し遣わしたきことあらば、次第に云いつぎ遣わすべし。
  士卒の進・退・止は金鼓貝の法、あるいは相図の旗、相図の火の約束を云い合い知らす
  べし。諸卒は物言わずして吏士の下知〔指図〕の声ばかり聞こえるを上法とす。
一 敵国に入りて妄りに放火する事なかれ。但し早く放火して閲〔味方、以下「閲」はすべて
  「味方」と書き換える〕の勢気となる所あり。下知に随うべし。
一 敵国に入りて神社仏閣を破り、社堂寺中の竹木を伐り、妄りに禽獣を猟り取る事なかれ。
一 敵国に入りて軍兵を推す事、一日に三十里に定むなり。卯ノ上刻〔午前五時〕に推し出
  して、午の刻〔正午〕に陣所を定めて陣屋を囲み一宿す。明日もまたかくの如し。三十里
  より遠く布く時は人馬疲れて、もし敵に逢う時、合戦なり難し。日暮て晩食調えず、味方
  の弱み多し。(上古の書、一里と云うは六町一里なり。右の三十里とあるは今三十六町
  一里の五里なり)
一 備えを立てる時、先将は始・中・終、馬に乗って居る。物頭も馬に乗って備えの左右に居
  て、備えの乱れ躁がざるように下知すべし。然るに、物頭、一身の手柄を好み我が備えを
  離れ、備えを乱すこと大なる罪なり。
一 先将・物頭、我が一手の諸卒を捨て一人逃げは罪す。
一 その手の大将打死の時、その手の人数、敵を討つべきほど生き残ってありながら、敵を撃
  たず逃げるを罪す。
一 その近習の士、故あって軍法を背き、幸いにして勝れたる功ある者をば、その職をかえて罪
  を免ず。
一 槍下にて首を取るといえども、軍の勝負未だ知れざる内に、頚持ち、旛本へ帰る時は功空
  しくなる故に、物頭へ再三申し断るべし。
一 人の取る頚を奪う事、戦場に兵具捨てる事、手負いを連れて退く事、
  但し我が主人の手負いたるを連れて退くは若しからず、余は皆非法なり。
一 我が一手の人数、皆引き取る時、手負を連れて退くは手柄なり。
一 陣中に於いて吉兆を占う事なかれ。(悪しき時は味方のよわりとなるものなり)
一 降参人あらば是を殺す事なかれ。その人をなずけて〔手なずけて〕、その国の郷導〔道案
  内〕に用いるべし。(義経の鶴越、盛綱の藤戸、みな郷導ありしゆえなり。盛綱、郷導を
  誅〔殺す〕せしこと、大なる誤りなりとぞ)孫子日く。郷導を用いずんば地利を得ること能
  わず。(所の案内者を郷導と云う)
一 在陣中、喧嘩・ロ論・遊山・翫水・振舞・大酒・馬を取り放す事・高声鳴り嗅ぐ事・妖怪を
  語る事・敵の剛を語る事・人と立ち並んで密かに語る事・無礼をとがむる事・無用に人の陣
  屋へ行く事・夜に入り無用に陣屋を出る事なかれ。火事といえども我が請取り場にてなくん
  ば行くべからず。(火事の時、講取り外の面々は、我々が〔各々の〕陣の前に備えて下知を
  守るべし)
一 陣中に於いて夜討その外、如何なる俄事たりとも将の下知なくんば出逢うべからず。
  但し敵その手前に寄せ来るに於いては、その一陣の将の下知次第たるべし。
一 陣中に女人を入れること禁制なり。
一 金銀兵粮の奉行には慈悲の心深き人に云い付ける事なかれ。明日の事を期せず少しずつも
  多く渡すによって、米銭早く盡ものなり。『三略』日く。仁者をして財をつかさどらしむる
  ことなかれ。それを多く施して下に附えんとなす。

陣場の善悪を知る事
  よさ陣場と云うは、切所〔切り立った難所・要害の地〕を前にあてて、彼の手遣い自由なる
  所、敵来る道には難所あり、味方の推し出るには自由にして四方よく見え、水・新、潤沢
  〔豊富〕なる所、陣の右に切所ある所なり。
  口伝に日く。山岡を前にあてて陣取るには、山岡を四、五町もこなたへ引きのけてとるべ
  し。また山岡を後にあてて陣取るには、山を先へ行きこして、坂を七八分ほど残し、平地へ
  下りつかぬ所に取るべし。春夏は高丘に陣涼しく取り暴水をのがるべし。

一 悪き陣場と云うは、後に切所ある所、四方高く中窪なる所、敵来る道は自由にして、味方
  出向く道、険難なる所、大山麓、森林の近き所、大河の端、我が陣の左難所、水・薪不自
  由なる所、秋冬は大山の北、澗谷・高丘取りて風寒にあたるべからず。人馬ともに煩うも
  のなり。
一 陣、堅固なりとも、場悪きと見つけば早く去るべし。○敵と大河を隔てて対陣する時は、
  河端近く陣取ること悪し。二、三町も引き退いて取るべし。その故は味方より斥候出て
  馬を乗り廻す時、地形ひろければ、敵より見るに勢いあるものなり。敵懸かる時、半渡り
  を打つに利あり。(口伝の書、外にあり)
一 推し出し行く道中にて、大河を前にあてて陣取る事なかれ。もしその夜、河向うに敵来
  るか、また大雨降りて俄かに水増して明日越しがたきこともあり。河あらば渡り越して
  陣取るべし。(口伝これあり)
一 敵国に入りて橋あらば、先に行く斥候一騎帰りて橋ありと告げる時、遊軍を先に遣わす。
  遊兵先立って行き、橋の左右にひとえに立ち並んで、先備えより後備え、小荷駄まで一騎
  打ちに渡して、後に遊軍は前の推す所へ行くべし。少しの橋もよく試みて渡すべし。弱き
  橋、大勢渡りては必ず破れ落ちるものなり。
一 船橋を渡すには左右に垣をして渡すべし。しからざる時は川に推し人られるものなり。
 (口伝日く。舟橋、切所を渡すとき、大将は残りて諸軍を先に渡すものなり。しからざる時
  は兵器など捨てるものなり)

大将陣屋作法
一 大将の陣屋を作る法は、先ず水を求め得て陣場を囲み、本陣を作る所を定めて縄張りをして
  置き、その右の方に先ず下陣を作り、左の方に馬屋を作る。その後、縄張りしたる所に本陣
  を作る。本陣の作りよう口伝あり。(五段・中段) 下降のうしろに近習の士・使番の小屋
  を作る。(大工数人置くべし。軍用の第一なり)
一 大将の陣屋は破風を敵の方へ向けて作る。棟桁をば、木の末を敵の方に向け〔る〕べし。
  梁は木の本を我が右の方にして一方向きにするものなり(右とは敵に向かって我が右を云う
  なり)。陣屋の大小は身体による。間口は半を用う。何時もそさうに〔ママ〕作るなり。
一 大将陣屋の前、旛を立て幕を施つ法。
 旛 纏の旛は台に立てる。(春夏は左に立て、秋冬は右に立てる)
  常の旗は門の左右に立てる。高さ五尺の柱を二間ずつに立て、内より上下に横木を結び、
  その垣の外より横木に旛を仮に紐つけて置くべし。旛多き時は右のごとく何ほども桓を長く
  紐つづけて立てるなり。その後に旛指す者の小屋を作るなり。
  風雨の時も旗を陣屋に入れず。大風雨にて其のまま置き難くば、巾ばかり入れて竿はそのま
  ま置くべし。
 (磨旛立てる台の作法、別記に有り。口伝日く。台なき時は、小さき木を四本、長さ四尺五寸
  に切り縦にす。この内一尺五寸、地〔に〕入るなり。別の木を五本、長さ三尺に切って横に
  用う。以上九本を横竪三尺に垣を紐で垣の外に纏を仮に結び付け置くべし。横木も縄結びも
  内なり)
 幕 幕一帖を陣屋の入り口の左右に施ち、両の間を通るように施つ。但し右の行暮を一問ほど
  引き折りて施つなり。

 柵結ぶ事、陣の四方に結ぶに、先ず門の左右半間をば横竪の位を以て結ぶなり。(口伝日く。
  竪四本、横五本なり。九字)則ち五段中段また九字なり。それより末は常の如く結ぶ。柵の
  木、長さ一丈二尺または九尺五寸なり。この内、地入り二尺なり。
  竪の木は人の頭の人らざるほどに立てる。一問に八本にて苦し。横木は上より七寸下で一通
  り、また一尺下で一通り、二通りに結ぶなり。右横木は内よりあてて結ぶ。縄目も内なり。
 (口伝日く。真直ぐに長き柵は引き倒し安し。所々に祈りを入れれば強きものなり)

拒火をたく辛
  一味方の陣場の惣構いの四つの隅より三十歩ほど去って炬火をたくべし。
  その火より五六十歩ほど先へ推し出して、敵の来るべき道筋にたくべし。
  これを捨てかがりと云う。薪を風上より風下へ長く積む。木口を少しずつ積み重ねて風上
  より火を付けるものなり。本かがりは薪の積みようなし。陣場近き故、消える時は何時も
  薪を加える。捨て矩火を宵にたき、本矩火は夜半よりたくべし。
  一度にたく事もあるなり。本矩火には番人あり。火の脇に土居を築いてその陰より焼くもの
  なり。(焼く時・焼き様、秘伝これあり。両夜口伝)

 《この音は上古より歴代の賢相、時々相承の音なり。而后〔その後〕秘密のロ決〔ロ訣・ロで
  授ける秘伝]を加え、その闕略〔漏れ〕を補い、当流の證本〔証〕となす。近代の人、誰か
  上古の法を知らんや。代々の師弟これを伝え、深く秘すべきものなり。》
 

巻二、備え輿

人数配りの法
  智将、銃卒を選びて先鋒に用い、正兵・奇兵・伏兵を分かつべし。
  およそ一万人の人数ならば七千人を正兵となし、千五百人を両奇となす。
 (右七百五十人・左七百五十人)、千五百人を両伏に用う。
 (右七百五十・左七百五十) 正・奇・伏の三つは、分か〔れ〕る時は三つとなり、
  合う時は一体となって進退すること、環って端無きが如し。
  人数何ほどありといえども、この見積もりを以て備えを輿み合わすべし。

  敵近く来る時は、上兵、皆馬より下り立って槍を取り弓を先に押し立て懸かり、
  正兵を以て合わせ、奇兵を以て戦わすべし。(口伝曰く。軍旅〔軍隊〕の伍〔五人一組の
  軍隊の単位〕は右を以て尊び、左を以って下とす。云々)

  評曰く。介(よろい)たる武者、早く馬より下り立って五町も走れば、
  一万人は五千人の力あるものなり。故に馬より早く下りることなかれ。
  進退静かなるを上策とす。幾備えありといえども、一備えに軍監二人ずつ付くべし。
  もし軍監なくば、主将の近習にて、法を知り智才ある侍二人、相添えて置くべし。

五伍の列法
  軍の勝ちは、備えを戒めて立てるより先なるはなし。
  故に、諸卒に先ず伍の法を教えて、備えの左右を定めて、
  常に組頭の所にて参会の時も、左座・右座を分けて左右を知らすべし。
  常の座にても往来の道中に居ざるように居ならばせて、
  これ皆戦場にての為と敢えて知らすれば、備えを立てるにも懸け引きの時も、
  障りとならざるなり。

 ●五人輿(くみ)
  五人を伍と云う。五人立つ時は、かくの如く立ち並びて、進むも退くも離れず。
  人 人
   人
  人 人

 ●両の備え
  五伍を両と云う。二十五人なり。
  人人人人人     人人人人人
       人人人人人
  人人人人人     人人人人人

 ●以下、卒(百人)・旅(五百人)・師(二千五百人)・軍(一万二千五百人)

  およそ備えを立てることは、伍の法より初めて一軍の備えに至ること、備えの大法なり。
  (五段の金、秘伝)およそ軍兵を使うことは、上兵も下兵も皆五人輿を定めて五々二十五人
  を一興となして、これに組頭を一人附け、進む時も二十五人、退く時も二十五人、離れざる
  ように法を定むれば、二十五人の力一人の力の如し。
  諸卒、物言わずして金鼓・旛・貝の約束を以て進退すべし。
  その向かう方は五段の旛色に随って行くべし。
  兼ねて〔前もって〕これを諸卒に教えれば、諸卒の耳目、一人の耳目の如し。
  諸卒の耳目、既に一つなる時は五伍の法乱れず、大軍を使うに一人を使うが如し。
  これを一心先持と謂う。(口伝)何時も五伍の法を定規に用い、機転を以て備うべし。

 ●足軽
 一足軽二十五人には五騎の足軽大将を付けて下知す。また小頭五人あり。
 一足軽に火付ける道具、巧者に申し付くべきなり。
 一広き所にて五十の足軽二段に立てるがよきなり。
 一野あいにて懸かる敵、また馬上多き敵には木楯を取り銃打つ。
 一広場退き口は円形になりて退く。口伝
 一広場の疑わしき所は奇正の足軽あり。口伝
 一足軽大将・物見、斥挨の巻、見合わすべし。
 一同乗変曰く、群ら押しに面を乱して懸かり来ば押しまとめぬにこれを討つべし


奇兵・正兵・伏兵の解惑
  先ず出て戦うを正兵と云い、後に出て撃っを奇兵と云う。
  或いは正兵は直に出て戦い、奇兵は傍らより出て戦う。
  これ大概を云う。奇兵を正兵と見せ、正兵を奇兵と見せて撃っこと、
  孫武が所謂(いわゆる)、人に形あるものや強弱・動静・労逸・虚実みな形なり。
  始終にも未だ顕れず、外虚内実、変動無常、
  奇とも正とも敵の知らざるように兵を使うこと肝要なり。

  李靖が日く。
  善(およ)そ兵を用いるものは、奇ならずと云うことなく正ならずと云うことなし。
  奇正の極意を知らざる人は、奇は奇とし正は正とす。
  奇正の相変循環して窮まり無きことを知る人鮮(すくな)し。
  止まる時は奇も正となり、出る時は正も奇となる。
 (秘伝これあり)匿して発するを伏兵と云う。
  その実は皆一なり。奇は正の変、伏は奇の別なり。
  奇は正を得ずんば悼む所なく、正は奇を得ずんば勝ちを取ること無し。
  奇正の説、定名ありて定位なし。(別の字あり。乱勝の位。口伝)

備えの法
 一番備えの法
  先ず大将の習いは、地の善悪を見て備えを立てる。
  敵・味方の虚実を見て、戦うと守るとの二つを知ること第一なり。
  合戦の時に至りて、主将より、唯今槍を始めよと使い来るといえども、
  唯今合戦をすれば我が負けと見極める時は、戦うべからず。
  主将より唯今合戦すべからずと使い来るとも、勝つべき図〔機会〕あらば、
  則ち戦って勝つべし。法に曰く、君命受けざる所あり、と云うはこれなり。

 〇秘伝曰く。敵・味方五六十間の内外にて、鉄砲せり合い厳しきうちは、敵油断して虚なる時
  なり。
  この図〔機会〕をば外さず押し寄せて戦い勝つべし。
  敵・味方、鉄砲打ち払う時は、唯今合戦と心得て強き時なり。
  ゆえに敵の先を勝つべし。(口伝あり)
  一 合戦の時、軍監と物頭は備えの左右に居て、少し先立ちて馬を乗り廻し、あるいは向か
   い馬に立ちて、
   敵・味方の左右前後を見て、敵の行(てだて)に随って戦・守を下知すべし。
 
 二番備えの法
  奇兵・正兵を分けて、一番備えに近く、三番備えには遠く備えを立てるものなり。
  もし先手、懸かり白む〔ひるむ〕ことあらば、二番備えより凱(とき)の声を挙ぐべし。
  先手の勢いとなるものなり。
  もし先手の槍いまだ始まらぬ先に備えを乱し、諸卒一心ならずは、必ず敗すべし。
  それに二番備えより推し寄せ加勢せんとすれば、先手と共に敗軍するものなり。
  先手の敗軍するには少しもかまわず碇(しか)と守り居て、逃げる人数を颯と通すべし。
  敵・味方の境を見分けて二番備えを以て横合いより切り崩すべし。
  先手、弱る時は遊兵乗り差して加勢すべし。
  一 先鋒打ち勝って敵を追う時は、二番備えは先手のあと百歩ほど置きて、何ほども慕い
   行く〔追撃す〕べし。
   軍監は高み高みと馬乗り上げて、敵の術を見るものなり。
   敵もし後に一備え立て置きて敗する時は、軍監、留貝を吹いて鐘をつくべし。
   先兵これを聞きて追い留まるものなり。
   評日く。古法に、逃げるを追うこと百歩を過ぎずと云うは、百歩にて必ず追いとまれと
   云うにあらず。
   敵の後を百歩ほど置きて慕い行くことなり。進むも追うも静かなるを上法と云う。
   早き時は軍兵疲れて槍合せに弱きものなり。敵問一町ほどになって急に進むべし。

伏兵置所の法
  二番備えを二三町ほど引き下げて伏兵を二ツに分け、道の左右に置くなり。
  小符をささせず、森林・堤などの陰に隠れ居るなり。大物見出す時も伏兵を置くなり。

三番備えの法
  奇正を分けて二番には少し遠く引き退き、旛本には少し近く備えを立てるものなり。合戦の
  法は二番に同じ。この跡〔後〕幾備えありても、皆かくの如し。

旛本備えの法
  先手すでに戦うといえども、旗本はことごとく馬より下り立って師の卦に備えて芝居して
  〔腰を据えて〕少しも動転すべからず。諸卒一言も物云うべからず。
  主将は馬上あるいは床机にかかり居て、旛を動かすべからず。
  旛本動く時は先手の疑いとなるなり。
  先手、懸かり白まば〔ひるめば〕、旛を推し立て、少し前へ推し出して備えを立て、
  また芝居す〔腰を据える〕べし。
  または備えはそのまま居て凱をあげることもあり。
  主将、かろがろ〔軽々〕しく先手へ物見に行くこと大いに悪し。

  評日く。旛本の軍兵、ことごとく芝居するといえども、当番の斥塀と使番とは、馬に乗り
  主将の左右に居る。主将の前より敵に向かって一筋道をあけて芝居すべし。斥喉の出入り
  障りなく自由なるものなり。故に師卦の形は、中に道ありて自由なり。
  上古は主将の旛本に五色の旛あり。備えの右の先に赤、左の先に青、右の後に白、左の後
  に黒あり。常には青赤白黒の四つの旛は催せて置き、備えの中央に黄旛を立て主将の在す
  験とす。
  戦場にて青を挙げれば、先手、東に向かって進み、赤なれば南に行き、自なれば西に進み、
  黒なれば北へ行く。その旛色に付き、色に随う。これを五方の準と云う。
  黄旛は主将の紋を付けて備えの中央に立て、伏すことなく巻くことなし。
  これ近代の馬符(しるし)の心なり。

  上古の馬符と云うは、合戦に臨みて馬より下り立つとき、馬には馬取りを乗せて、
  傍らに二三町引きのけて置き、我が馬に添えて小符あり。
  これを馬符と云う。馬に乗りたき時、主人は彼の馬符を求め、馬取りは主の指物を見て主人
  を来するゆえ、馬符は馬武者ごとにあること、上古の法なり。
  今は五方の旛におよばず、主将の采幣〔配〕に応じて将の旛を以て五段の教えあり。
  (秘伝これあり)

遊軍の法
  およそ遊軍は二十四騎なり。これを四輿にして、一組に頭人を二人ずつ付けて、
  行列の時は旛本の後に推して布くべし。
  旛本と別手にて一手なり。陣取りの時は、遊軍、先ず出て陣場の四隅に一組ずつ張番に居
  て、諸軍に陣屋かけさするなり。
  大物見また他の備えの加勢に遣わし、あるいは夜討を防ぎ、あるいは火事を消す役者なり。
  二十四騎といえども、大将の身体の大小によって五十騎百騎もあるべし。輿は四輿に定め
  るなり。
  火を消す時、焼ける火の後ろより消す時は利を得ず、火に向かって消すべし。
  砂・土をかけて消すべし。また喧嘩口論の時、走り向かって和談〔和解〕さする役なり。
  伝に日く。先鋒、槍合わせる時、その少し前に遊軍を加勢に遣わすべし。

後備えの法
  後軍の習いは、鉄砲を前後に置くべし。備えを立てるといえども、始・中・後、馬より下り
  ることなかれ。歩兵はことごとく芝居すべし〔腰を据える〕。
  もし先手、戦い負けて二三の備えまで敗軍する時は、旛本にて請けとめて戦うことあり。
  この時、後備えより乗りつけて後詰めをする。その時、馬に乗らんとすれば、備え乱れて大
  いに遅し。故に下馬せざれと云う。後軍の秘伝なり。

旛を立てるの法
一 敵国に入りては鉄砲・弓・馬武者・長柄・旛、この次第守るべし。行列の時も、
  敵地に入りては後備えの後ろへ遣わすべし。
一 敵に旛を多く見せんと思うときは横に立て、少なく見せんと思う時は縦に立てるものなり。
  旛を立てる間配はおよそ二間なり。旛を少しも動かすべからず。旛動けば、先手弱くなる。
一 旛奉行三騎・歩吏数人あり。旛一本に持つ者三人なり。弓・銃をも少し添えて置くべし。
一 敵、敗する時は、その日の先の旛奉行一人、旛二三本持たせ、
  逃げる敵を追う味方の後を慕い〔付いて〕行くべし。残る旛は大将の下知に随うべし。
一 城に攻め入る時は、旛を巻いて旛竿にくくり付けて持ち、城へ乗り込みて旛を張り、推し立
  てるものなり。
一 城に乗込む時、一番に入りたる旛より別の旛、後より入る事なかれ。
  初め入りたる旛を見ず後に入る旛ばかり見る人、旛がおそく入りたりと云うものなり。
一 敵を引き懸けて打たんと思う時は、旛を伏せて置くなり。
  その時、旛竿の本を敵の方へなして仰むけて寝せ置くべし。
  敵、腰かり来るに、旛を起す時、敵の方へ懸かるように見えて勢い強く見えるなり。
一 旛を推し立て行く時、もし行き過ぎて引き取ることあらば、後へそのまま返す法なし。
  故に遅速の見合い、軍曹の肝要なり。
  もし誤まって行き過ぎたる時は、礎を推し立て先へ行き、大きに廻って横より帰るものな
  り。急なる時か、狭道ならば、旛を巻きて他所より見えぬようにして帰るべし。

小荷駄の扱い
一 出陣の時は、小荷駄をも上兵の次第の如く備えを立て置き、
  推し立て行く時は後備えより四五町ほど引き下げて、その組々の上兵の行次第の如く行く
  べし。
  陣取りの時は、その一手一手の小荷駄験を持たせ、我が降場々へ遣わし立て置くべし。
  その一組々の小荷駄奉行、これを見て、我々が〔各々の〕陣所へ行くものなり。
一 軍用は馬に付けて持たすべし。
  (軍用とは軍陣に持つ道具なり。釶・鎌・鋒・鍋・桶・兵粮・大工の道具・笠・蓑・縄・
   簀・衣服・荷・杖など)
一 帰陣には、一番に遊兵を遣わし、次に小荷駄、次に後備え、次に旛本、次に三番備え、次に
  二番備え、次に一番備え、かくの如く遣わすべし。また小荷駄に遊兵を添えて惣軍の後より
  遣わすこともあり。

鉄砲・弓を立てる法
  一敵国に入りて軍兵を推す次第は、一鉄砲・ニ弓・三馬武者・四長柄・五旛、かくの如く遣
  すべし。
  敵近くなりては、何れも左備え・右備えを分けて真ん丸になって行くべし。
  武者頭三人あり。備えの初・中・後を一日替りに馬上にて行くべし。
  合戦に臨みて備えを立てんと思う時、先の鉄砲頭一人、纏の旛を持たせて馬を乗り出して先
  へ行き、戦場を見定めて、銃を立てんと思う所に纏の旛を立て、後に向かって招くべし。
  この時、後に残りたる二人の鉄砲頭、銃を持たせて、右備えは纏旛の右へ行き、左備えは纏
  旛の左へ行きて、
  敵に向かって横に立ち並ぶべし。その次に弓頭・右の鉄砲東、作法の如く弓を立てるなり。
  その時、上兵、馬より下り立って、槍を取りて推し立て持ち懸かるべし。
  進退ともに槍を横に持つことなかれ。馬には馬取りを乗せ、我が備えより二三町も引き除け
  ておくものなり。
  伝日く。先の鉄砲頭、備えを離れ行く時は、先に物頭なきゆえ、必ず備え乱れるなり。
  故に後の物頭、先へ行くべし。纏旛なき時は物頭の小符を見て行くべきなり。

一 敵に向け銃を放す〔撃つ〕時、十分一放し残し、薬をつがすべし。
  ことごとく放し払えば、銃の絶え間に乗じて、敵、懸かり来る時、術なきものなり。
一 敵、間近く来て、味方、銃を放ち払う時分に、先将の旛本より螺を吹くなり。
  この貝を聞くとひとしく〔同時に〕、右備えの銃は右の傍らに開き、左備えの銃は左の傍ら
  に開き、各薬を込むべし。その時、次段の銃、進みて放つなり。
  幾段もかくの如し。次段、弓ならば、上弓を先に推し立て、鉄砲より先へ通り、失比よく合
  戦すべし。右の薬込めたる銃は弓の後に備えて、弓の開くを待ちて守るべし。みだりに放つ
  ことなかれ。
一 敵、敗せば、物頭は銃と弓と前に推し立て、逃げる敵を追い、味方の後を百歩ほど置きて慕
  い行くべし。
  敵、もしもり返して、味方敗軍せば、銃の者、芝居して敵・味方の境を見定めて厳しく銃を
  打つべし。
  伝曰く。敵近くなって銃を放つ者、ためて放つ者まれなり。故に百度放って百度ながら越し
  て中(あた)らず。
  そのゆえは、先立たる人を行き越しては放たず、人の後より放つゆえ、
  前の味方に中らんことを恐れて筒先をさし上げて放つゆえ、ことごとく越して中らぬなり。
  故によく芝居して〔腰を据えて〕右の膝を居敷き左の膝を立て、筒先を土に押し付けて火縄
  をはさみ、筒先を上げざまに放せと教ゆべし。
  筒先を空に向けて火縄をはさめば、そのまま放つゆえ、いよいよ越して中らず。
  急なる時は、腰矯にして放つべし。右の習い、朝夕鉄砲の者に云い聞かすべし。これ鉄砲頭
  の役なり。
  筒の長きは、芝居して薬込める時悪し。短筒を用うべし。
  また放ち様、鉄砲の者、立ちならんて一人越しに放つべし。
一 銃に弓を組み合わせて置くこと益なし。鉄砲と弓とは矢ごろ違えばなり。
  また時宜〔頃あい〕によるべし。
一 城外の敵は、上兵・物頭と見る敵をよくねらいて打つべし。
  評曰く、はなやかなる物具は、敵の目当てになるとて、近代の上兵多くは、累々と出で立つ
  なり。黒々とあるうちに上兵はそのしるし見ゆべし。それをえらんで打つべし。
一 弓吏は、敵近くなって銃を放ち盡す時分、旛本より螺を吹くを問いて、
  上兵ことごとく馬より下り立って槍を取る時、弓大将、弓を先に推し立て、銃より先に懸け
  向かって、敵・味方の間七人間の時、槍脇より射立てるとき、上兵は槍を合わせるなり。
  敵、必ず放す。必ずしも敵遠き内、射さすることなかれ。(当流の秘事なり)
  右の秘計にまた秘中の秘あり。槍脇の弓の内に鉄砲少々組み合わせ置き、射立てられて敵少
  し色めく時、その図〔機会〕を外さず銃を放ちかくべし。間近き敵、なじかは中らざらん。
  必勝。深く秘すべきものなり。
  (この軍計、敵方にも知りたりと心得、その裏を勝つべきなり。ただ内心に裏を用いるこ
   と、光陰の位なり)
一 長柄の槍は、合戦に臨んでは旛の前に立て直くべし。また歩士に持たすることもあり。時宜
  により、また将の下知に随うべきなり。
一 輿力預かる法
  我れ一人の大将たるに、大君より輿力〔援軍〕を預かる時は、行列には輿力を先に立て、
  次に私の軍兵を推すものなり。戦場にては輿力を正兵に用い、私の軍兵を奇兵に使うべし。
  法曰く。正兵はこれを君より受け、奇兵は自ら出す所とあり。

《この書は上古より以来、歴代の賢相、的々相承の書なり。而后〔その後〕秘密のロ決〔ロで授
 ける秘伝〕を加え、その闕略〔漏れ〕を補い、当流の證本〔証)と為す。近代の人、ただ臨機
 応変を如りて、行列・備え組・奇正の法を知らず。古法を学ばずして、豈これを知らんや。兵
 法は詭道〔欺く道〕なり。秘を以て道となし、勝利はその中に・在らん。小笠原氏降以来、
 代々の師弟これを年っ。深く秘すべきものなり。》
 

  • 最終更新:2018-10-13 13:38:37

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