足利高基

◆足利高基
Wiki最終更新 2016年4月20日より本サイト内に取り込んだもの

足利 高基(あしかが たかもと)は、戦国時代の武将。3代目古河公方(在職:永正9年(1512年) - 天文4年(1535年))。足利政氏の長男。母は不詳。妻は宇都宮成綱の娘・瑞雲院。
 
明応4年(1495年)に元服して、室町幕府第11代将軍・足利義高(後の義澄)の偏諱を受けて「高氏」(たかうじ)と名乗るが、初代将軍足利尊氏の初名と被ってしまうため、後に初代鎌倉公方・足利基氏(尊氏の子)の一字により「高基」と改名した。

上杉氏の方針等をめぐって、父と不和になって対立する(永正の乱)。一時、宇都宮氏の宇都宮成綱のもとに身を寄せたこともある(ちなみに、この高基と政氏の争いのさなかに、高基の弟・足利義明は謀反を起こして独立し、小弓公方となる)。

その後、古河公方擁立を企む岳父・宇都宮成綱を中心とした高基方(宇都宮成綱、結城政朝、小田政治など)の支援によって、永正9年(1512年)に古河公方として後を継ぎ、扇谷上杉家や山内上杉家と対抗して、勢力拡大に奔走した。永正13年(1516年)の縄釣の戦いで宇都宮成綱が政氏方の佐竹義舜を破ったことによって名実ともに古河公方となった。後に山内上杉家とは和解して次男の晴直(上杉憲寛)を同家の養子としている。宇都宮成綱没後も嫡子の忠綱との関係も良好であったことが忠綱に宛てた書状から確認できる。晩年には嫡男の晴氏とも対立している(関東享禄の内乱)。

  • 最終更新:2016-10-02 18:55:48

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