長年寺

曹洞宗室田山長年寺
箕輪初心▲箕輪城150久保田順一先生【室田長野氏:長年寺&鷹留城】

  ・明応2年(1492)長野伊予守業尚が建立。 長年寺を開基?
                    (★「長年寺縁起ならび由来記:高崎市史4」
  ・文亀元年(1501) 曇英恵応が入寺
                    (★日本洞上諸祖伝等)

   chounenji05.jpg  chounenji1.jpg
                      余湖くんのホームページ様より
◆文亀元年(1501)月日未詳、長野伊予守(業尚)が室田に長年寺を開基して曇英慧応禅師を招く

 二三九 日本洞上聯燈録(永正元年十月十四日)
     双林一州正伊禅師法嗣
 上州双林慧応禅師、以下略……

〔解説〕
  曇英慧応神師は、白井双林寺(北群馬郡子持村)に住み、
  明応六年(1497)には長尾能景にょって開基された越後春日山林泉寺で法話を説いている。
  また、文亀元年に長年寺(群馬郡榛名町下室田)が開かれると、ここに移り、教えを説いた。
  更に永正元年(1504)ここで死去したという。

 曇英恵應(どんえい えいおう)
  応永31年(1424年) - 永正元年(1504年))は室町時代の曹洞宗の僧。俗姓は藤原氏。
  諱は慧応。道号は曇英。京都の出身。
  円覚寺、相国寺等で臨済宗の禅風を学んだ後、曹洞宗に転じ一州正伊の法を継いだ。
  今日の曹洞宗は黙照禅で知られるが当時は看話禅の修行も盛んで、恵應はその第一人者と
  目された。雙林寺、最乗寺などの名刹の住職を歴任し、林泉寺、長年寺を開いた。
  大庵須益、為宗仲心らの推挙により永平寺の住職に就任した。当時の永平寺は衰退期に
  あり、恵應は復興の手腕を期待され奔走したが在任は短期間であったとみられる。
  このため、現在では公式には歴住(歴代住職)に数えられていない。

  ◆室田長野氏と鷹留城を語る
   平成26年(2014)11月9日(土)、群馬県高崎市榛名町下室田の曹洞宗:長年寺で
   久保田順一先生の【室田長野氏と鷹留城を語る】の講演会があった。

   長年寺は鷹留城主長野氏の菩提寺である。
  ・延徳4年(1492) 長野業尚が榛名に長年寺を創建した。初代鷹留城主:長野業尚~
   箕輪城主:長野業正公など長野氏累代7人の五輪塔の墓がある。

   永禄4年(1561)6月21日、長野業正の死去。長野業正は死を隠すように言った。
   でも、すぐ死はばれた。長野業正を知った武田信玄は「上野を手に入れたも同然・・。」
   と言ったという。・・・・長年寺住職:受連は武田信玄に、金を持って
   「寺を焼かないでくれ。」という制札を貰いに行った。しかし、長年寺は大戸浦野氏に
   焼かれた。浦野氏は真田幸隆→甘利昌忠経由で、武田信玄の配下になった。

   長野業正の2男:長野業盛=氏業の兵1500は次第に減って僅かになってしまっていた。

   永禄9年(1566)長野業盛は箕輪城で武田軍2万を迎え撃った。長野業盛は力の限り
   奮戦したが、箕輪城内の持仏堂で自刃した。箕輪城は陥落した。

   chounenji01.jpg  minowa_nawa02.jpg
   図右、長野業政の時代、箕輪城は現在見られるような技巧を施した城ではなかった。

   chounenji01.jpg  chounenji02.jpg
   (★長年寺の鎧)       (★久保田順一先生)


   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 【0】鷹留城

   chounenji03.jpg  chounenji014.jpg
   ★鷹留城は群馬ではBEST8に入る名城であろう。

 【1】長年寺

   chounenji05.jpg  chounenji06.jpg
   1)長年寺の境内           2)長野氏7基の墓
 
   chounenji07.jpg  chounenji08.jpg
   手前は歴代住職の墓である。

   右写真の長中央が初代鷹留城主で長年寺開基の長野尚業(業尚)
   その左右に累代長野氏の墓が並んでいる

   長野氏長野尚業(業尚)、憲業、業氏、業政、業固、業茂、業続の7人。
  右から
   ①長野業茂(法名:一渓長派居士)・・?
   ②長野憲業(法名:南方長宗庵主)・・2代鷹留城主。信業説あり。
   ③長野業尚(法名:慶岩長善庵主)・・初代鷹留城城主。長年寺開祖。
   ④長野業固(法名:傑山長寅居士)・・
    真ん中・・・?
  ★受連は武田信玄3回の「長年寺攻撃をやめてくれ」
   という長年寺文書を庇護した人物であった。

   私説だが、つまり、5代目がいたのではないだろうか?
   ⑤長野業氏(法名:以山長伝居士)・・3代鷹留城主?
   ★弘治3年(1577) 長純寺(箕郷町原山)を再興した。
    本郷堰(黒沢川) 箕郷善地駒寄の取水口→・・・・
   ⑥長野業政(法名:一清長純居士)・・箕輪城主。長野氏一番の武将。
   ⑦長野業続(法名:安山長康居士)・・★長野業通の可能性がある、
  ※長野業通・・・・系図によっては、4代鷹留城主。 

   chounenji10.jpg  chounenji09.jpg  
   3)鷹留城・・・長年寺からの遠望

 【2】「長年寺所蔵文書長野氏系図」   {新編高崎市史1964資料編4}」

  ①長野業尚→②憲業→業氏(鷹留城)→業通
     ↓       ↓    女子3人
     ↓       ↓   大森別当
     ↓       ↓    業固
     →方業(厩橋城)↓    勝業(箕輪城討死に)
             ↓      業固
             ↓    
             →③業政→吉業
                ⑤業盛(=氏業)→業国 亀寿丸
         「長野氏興廃史」:鎮良「箕輪城考」
                      女子12人 

  ●石井義樹=里見義樹(1533~1563) 
   長野業正の養子:里見義樹→石井信房→榛名:鷹留城主
   「石井泰太郎氏の所有長野氏系図」には長野業正の養子と記される。
    安房稲村城主:里見義堯の次男:文悟丸である。
    系図は長野業正の妹を里見義堯室としている。

  ★この縁で養子縁組みしたのかもしれない。里見繁美氏はこの説を強調している。
  ・里見義樹は長野業政の養子になったが、業盛が生まれた。
  ・???石井城主石井城(現前橋市富士見)→
  ・天文20年(1551) 2月 鷹留城守将となった。石井讃岐守信房と名乗る。
  ・永禄6年(1563)2月21日、討死。31歳。


 【3】長野弾正系図(来迎寺)

   長野業政は12人の娘を西上野などの諸将に嫁がせて一大防御網を構築した。
  ●長野正弘氏(来迎寺)の系図によると、・・・

   ①小幡城主(群馬県甘楽郡甘楽町)小幡尾張信定
   ★本名は、小幡重貞→武田信玄に仕えて、小幡尾張守信貞→小幡信定→小幡信実となる?
   ★系図は江戸時代に作られたので、「信」の字が使われている。
    武田信玄が攻めて来た頃には、小幡城は平城なので、家老 熊井土に任せた。
    自分は国峰城に入った。熊井土は、井伊直政に仕え、岡本姓を名乗った。
   ★群馬サファリ付近であるが、山﨑一氏の城郭には見られない。
    おそらく、富岡市岡本にあったが、山崎一氏は調べ忘れた。
    ・・・その後、群馬サファリワールドになった。

   ②国峰城主(群馬県甘楽郡甘楽町)小幡図書助景定
   ★国峰城主:小幡重貞の系図が通説である。
   「関東古戦録」久保田順一訳では、ずうっと、小幡重貞が入っていた。
    ・・・草津に行った時に、従兄弟:小幡図書助に乗っ取られた。

   ③武蔵国忍城主(埼玉県行田市)成田下総守長泰
   ★忍城博物館・・学芸員がNOと言った。・・・・

   ④山名城(群馬県高崎市木部)木部宮内少輔定朝

   ⑤大戸城主(群馬県吾妻郡吾妻町大戸)大戸左近兵衛

   ⑥和田城主(高崎市高松町)和田業繁

   ⑦倉賀野城主(群馬県高崎市倉賀野町)倉賀野景秀→武田信玄の家臣で「金井景秀」

   ⑧羽尾城(群馬県吾妻郡長野原町羽尾)羽尾修理亮

   ⑨厩橋城主(群馬県前橋市大手町)長尾彦太郎,

   ⑩鷹巣城主(群馬県安中市板鼻)依田某

   ⑪浜川城主(群馬県高崎市浜川)浜川左衛門尉

   ⑫鷹留城主(群馬県高崎市榛名町)長野弾正忠業固。

   しかし,長野業政が没すると,武田信玄の諜略によってこの一大防御網は
   もろくも崩壊していった。

  ・永禄9年(1566)
   6月約2000の武田軍によって鷹留城落城

   9月29日 箕輪城落城

  ・久保田順一先生の本を購入した。

   chounenji11.jpg  chounenji12.jpg
  ・久保田順一先生に先に挨拶され、恐縮した。
  ・倉渕の東禅寺:村上泰賢先生もいた。

   chounenji13.jpg  chounenji14.jpg

 【4】長年寺の位置

  1)無極恵徹・・・・・・松井田補陀寺
  ・応永年間  群馬県最古の曹洞宗の寺:安中氏開基。
    ↓
  2)月江正文・・・・・ 
    ↓
  3) 一州正伊・・・・・群馬県雙林寺開山・開基は長尾景信
    ↓ ・沼田の恕林寺・月夜野の玉泉寺を開基。
  4)天倫正挺・・・・・・群馬県雙林寺2世
    ↓ ・小幡最乗寺の開山・小幡氏の開基
  5)曇英恵応・・・・・・群馬県雙林寺3世(どんえい えいおう) 

  ・応永31年(1424)~永正元年(1504)
   藤原転法輪家・・鎌倉円覚寺、京都相国寺等で臨済宗を学んだ。
 
  ・長享元年(1487) 曹洞宗:一州正伊の法を継いだ。
   雙林寺3世となった。最乗寺などの名刹の住職となった。

  ・明応6年(1497) 越後の林泉寺の開基。

  ・文亀元年(1501) 長年寺を開基?・・・入寺。

  ・永正元年(1504)恵応は大庵須益、為宗仲心らの推挙により永平寺の
   住職に就任した。永平寺の復興の手腕を期待されたが在任は短期
   間であった。公式には歴代住職に数えられていない。


 【5】榛名長年寺の成立

  ・延徳2年(1490) 長野業尚の草津温泉遊蕩
   長野業尚は草津温泉で入湯した時、長野為景(上杉謙信父)
   &恵応(雙林寺3世)に会った。→不思議体験伝説

   「草津温泉に泊まった湯本氏の旅館:?・・息子が死んで、
    温泉が出なくなった。・・・これに答えた3人衆・・・
    やがて、温泉が再び出てきた。・・・・」

  ・明応2年(1492)長野伊予守業尚が建立。長年寺を開基?
                     (★「長年寺縁起ならび由来記:高崎市史4」
  ・文亀元年(1501) 曇英恵応が入寺。
                     (★日本洞上諸祖伝等)
  ・永正9年(1513) 長野憲業は禁制を・・・・

 【6】長野氏の成立&発展

   久保田順一先生の説

   ①平安末期の長野氏&室町中期の長野氏は別かもしれない。
   ★疑問・・①この時代、婿養子にしても血筋は絶やさない。

   ②長野氏の最初の本城は鷹留城→箕輪城に入った人物が嫡流となり、
    鷹留城は支流となった。という説を今回は強調した。
   ★疑問・・②久保田先生は8ヶ月前の講演会では、
   「箕輪は最初に鎌倉時代~南北朝時代に発展して、長野郷の中心地が箕輪である。」
    という説を聞いたからである。

  ・明応元年(1492)創建である。
   開祖は長野業政の祖父:長野業尚(なりひさ=尚業)、開山は
   白井双林寺3世曇英(どんえい)恵応である。
   私は箕輪城築城は鬼門に造られた石上寺(石上神社=神仏混交)の1474年説を
   とっているが、久保田先生は鷹留城が先に造られ、中心が鷹留城から箕輪城に
   移ったことを強調されていた。

   長野業正時代には、鷹留城は防衛の重要な支城になった。
   武田信玄は箕輪城攻略にあたり、鷹留城と箕輪城との連絡を分断することを念頭
   において箕輪城を攻略したという説を採っているようだ。

   ③久保田先生は「室田堀の内に長野氏の屋敷があって、詰め城は松山城である。
    その後、鷹留城が造られた。」
   ★疑問・・・③私は、鷹留城の出城が松山城である。と考えている。

   chounenji15.jpg  chounenji16.jpg
 【7】鷹留城長野氏の菩提寺:長年寺の危機・・・
  ・''永禄4年''(1561)6月21日、長野業正の死去。
   長野業正は死を隠すように言った。でも、すぐ死はばれた。
   長野業正を知った武田信玄は「上野を手に入れたも同然・・。」と言ったという。
   長年寺住職:受連は武田信玄に、金を持って
   「寺を焼かないでくれ。」という制札を貰いに行った。

   しかし、長年寺は大戸浦野氏に焼かれた。
   浦野氏は真田幸隆→甘利昌忠経夕で、武田信玄の配下になった。
   長野業正の2男:長野業盛=氏業は1500の兵は僅かになってしまっていた。

  ・永禄9年(1566)長野業盛は武田軍2万を迎え撃ち、力の限り奮戦
   したが、箕輪城内の持仏堂で自刃した。箕輪城は陥落した。

  ・永禄9年(1566) 9月29日 箕輪城落城
   永禄4年説・永禄6年(従来説)・永禄8年と諸説あった。日日も・9月30日がある。

  @長年寺受連覚書(旧榛名町)3回目
   永禄9年(1566)が通説になった。
   榛名神社の「長年寺:受連の制札」で、9月29日に箕輪城落城後、信玄に
   直接会って寺領安堵・・・。               
                       (★まんが箕郷の歴史:長年寺文書)
  ★これが永禄9年説の決め手になったのだ。

  ★久保田先生、今回も楽しかったです。ありがとうございました。

  • 最終更新:2018-07-13 23:16:43

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード