天分21年

 ◆天文21年 1552年
   第5代古河公方 足利義氏(あしかが よしうじ)
  1月
   8日 義信の具足始めの儀式を行う。
   27日 諏方頼継、府中で自害する。
  2月
   11日 武蔵御嶽城を攻撃
   15日 城下の金鑚山大光普照寺が消失
  3月
   御嶽城は開城した。
   阿保康広・安忠は投降し除名されるも、城兵は討ち死にした。
   上杉謙信、武田晴信と地蔵峠に一戦
   この時北条方に与した河西衆は、河東地域の由良・足利長尾・佐野・桐生・大胡・厩橋
   長野氏らと対立した。
   ここにおいて河西衆とは、小幡・長野・安中・和田・倉賀野氏らと考えられ唯一河東の
   那波氏が加わっていると考えられる。となると室田・箕輪長野氏と厩橋・大胡長野氏
   対立関係になった事を示す。
   関東管領上杉憲政、後北条氏により平井城を追われる
  ★しかし、「河西衆・・・長野業正・小幡憲重などは上杉憲政を裏切った」とある。
                               (★「群馬県史」など)
   舘林城主:赤井氏・小泉城主:富岡氏は、北条方へ降る。
  4月
   上杉謙信、鳥居峠より上野に入り、平井城を落とす。(これは7月以降と思われる)
  5月
   7日 晴信生母 大井氏が没する。
   上杉憲政は、越後入りした。(そののち一旦水上へ戻ってきたともされている)
  7月
   長尾景虎は、上杉憲政の要請により上野へ出兵した。
    景虎の越山(天文21年).jpg
  8月
   12日 晴信 小岩岳城を攻略。
  9月
   北条氏康 上野へ出陣して、茂呂氏へ加勢するように富岡氏へ要請した。
    景虎の越山その後(天文21年).jpg
  10月
   北条氏康 大した成果もなく帰国した。
  11月
   28日 義信が、今川義元の女を娶る。
  12月
   小笠原長時が長尾景虎を頼る。
   12日 氏康 安中源左衛門に上南雲の所領をあてがった。
   源左衛門は、安中繁重・景繁とは、別系統の氏族でこちらが宗家であったらしい。

  • 最終更新:2019-06-04 10:25:09

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